トヨタ自動車から殿堂入りした人物を挙げると、豊田英二(殿堂入りは1994年)、豊田章一郎(同2007年)、豊田喜一郎(同2018年)、大野耐一(同2022年)、そして豊田章男(同2026年)となる。

 米国に刺激を受け、日本に自動車産業を興した喜一郎。米フォードの工場から多くを学び、後にゼネラルモーターズ(GM)との合弁を決断した英二。米国のスーパーからヒントを得て米国でも学ばれるトヨタ生産方式(TPS)を築いた大野。米国で「日本車」というブランドへの信頼を育て北米事業を発展させた章一郎。

 トヨタが米国から学び、米国に根を下ろし、共に成長してきた歴史と重なる。

「はるか昔、祖父(喜一郎)と父(章一郎)を奮い立たせた、まさにこの場所から2人は顕彰されることになった。そして今、豊田家の三代目である私も2人の足跡をたどり、ここに立っています」

 9月23日、米ミシガン州デトロイトで行われた殿堂入り式典で章男は、親子3代で栄誉を受けたことも交えてこう語った。

「豊田章男と米国」の不思議な縁
因縁、試練、涙、感動、青春…

 そして「豊田章男と米国」といえば、さらに大きな因縁がある。2009年6月、トヨタ自動車社長に就任した章男は、リーマンショックによる赤字転落に加えて、米国を震源に世界規模のリコール問題にさらされていた。

「羅針盤を持たない嵐の中の船出だ」と語った社長就任会見。一大試練となったのが米国下院公聴会でのリコール対応だった。2010年2月、章男は公聴会へ出席。「全てのトヨタ車には私の名前がついています」――。誠心誠意、証言する中で章男は2回、この言葉を繰り返した。実に、重みを感じさせる。

 また、「創業家に生まれるということについて私には選択権はなかった」と発言。ある意味で波紋を広げた。これは筆者が思うに、「創業家」とあえて口に出すことで、トヨタとその仲間を守ろうとした章男の想いが込められていたのではないだろうか。