公聴会終了後、米国トヨタの関係者らが大勢集まった激励集会では、「私はひとりではありませんでした。アメリカ中の、そして世界中の仲間が私に大きな力を与えてくれて、私の心の支えとなってくれました」と涙ながらにスピーチしたことは、今でも語り草となっている。

 53歳で担ぎ出されるようにトヨタ自動車社長に就任した直後、米国での大きな試練は、章男にとって大きな経験となったことだろう。

 本人曰く、慶應義塾大学生時代はフィールドホッケーのグラウンドと自宅を行き来するだけの毎日だったという。だが米国バブソン大学に留学してからは一転、勉強漬けとなり、青春の最終章を過ごしたそうだ。

 卒業後、金融業界に飛び込んだものの、どこに行っても「豊田」という名前から逃れることはできないと悟ったのも米国だったと語っている(トヨタイムズより)。

 トヨタに入社後、1998年にはGMとトヨタの合弁工場NUMMIの副社長を務めた。40代でこのキャリアを経験できたことが、2000年にトヨタ本体の取締役就任につながっている。

苦悩や孤独も…豊田章男が語った「本音」とは?米自動車殿堂入り、手術を乗り越え「院政」続行か Photo:Tomohiro Ohsumi/gettyimages

14年間の社長時代は
「トヨタらしさを取り戻す闘い」

 章男は14年間の社長時代を振り返り、「トヨタらしさを取り戻す闘い」だったと総括している(藤井英樹『上司 豊田章男』PHP研究所より)。2023年4月、佐藤恒治に社長を譲ると、自らは会長となった。その3年後の今年4月、近健太が社長に就任し、豊田会長・佐藤副会長のスリートップ体制に移行した。