それでも、外国資本への規制、行政手続き、業種ごとの認可など、企業活動に国家が関与する仕組みは残っている。
金融面でも同様である。外国為替管理法に加え、インド準備銀行は銀行に対し、農業や中小企業などの優先部門への融資目標を設けている。国家が資金配分にも政策的な方向性を与えているのだ。
もっとも、インドの金融制度は単純に遅れているわけではない。
銀行口座間の即時送金を可能にするUPIなど、デジタル金融では世界的に先進的な仕組みも構築している。インドには高度なデジタル金融と、国家による強い金融・産業政策が共存しているのである。
日本企業は、この複雑な制度の中で事業を運営しなければならない。
スズキはなぜ「ライセンス・ラジ」の時代に成功できたのか
インドで突出した成功を収めた日本の経営者の筆頭は、スズキを率いた鈴木修氏だろう。しかも、スズキがインド政府と合弁契約を結んだのは1982年。まだライセンス・ラジの風習が強く残っていた時代だ。
当時、インドの乗用車市場は政府の厳しい規制下にあり、外国メーカーの参入も制限されていた。
そんな状況下で、スズキはインド政府が推進する国民車計画のパートナーに選ばれた。出資比率は当初26%にすぎなかったが、スズキは技術を提供し、1983年には小型車「マルチ800」の生産を開始した。
スズキはライセンス・ラジに自由な事業活動を制約される一方で、政府主導の事業に参加したことで、競合企業の参入が制限された市場に足場を築くのに成功した。
鈴木氏が日本の自動車をそのままインドに持ち込もうとはしなかった点は特筆すべきだ。
インドの人々が購入できる価格の小型車を投入し、現地従業員を育成し、部品メーカーを育て、販売網を構築していった。単に自動車を売るのではなく、インドに自動車産業を根づかせることに取り組んだのである。
また、スズキはインド政府の言いなりになったわけではない。1997年には、合弁会社マルチ・ウドヨグの経営トップ人事を巡り、インド政府と激しく対立した。スズキは政府の対応が合弁契約に反するとして争い、国際仲裁にも持ち込んだ。







