写真:国立国会図書館/AI Generated/Chat GPT
いま私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。『日本を創った57人の経営者』の本稿では、味の素の創業者、鈴木三郎助を取り上げる。うま味という「第五の味」を世界に提示し、「味覚の再定義」を促しただけなく、「世界中の料理が、どこでも同じようにおいしい」という環境を創り出した人物だ。また一方で、現代のAI論争にも通じる「科学と文化の摩擦」という普遍的な問題を投げかける存在でもあった。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
おいしさを科学で「翻訳」し
絶妙なネーミングで世界に広げる
味の素は体に悪いのか、それとも何の問題もない安全な調味料なのか――。この種の論争は、ネット上でたびたび燃え上がるテーマです。「化学調味料」という言葉に拒否反応を示す人がいれば、「科学的な安全性はとうに証明されている」と反論する人もいる。双方とも、同じ白い結晶を見ながら、まったく違うものを見ています。
似たような構図は、味の素だけの話ではありません。AIに絵や文章を描かせることに、どこまで創造性を認めるべきか。培養肉は、肉と呼んでいいのか。いずれも、長らく人間の「経験」や「文化」に属していた領域に、科学や技術が踏み込んできたときに起きる摩擦です。
こうした論争をぼんやり眺めているうちに、ふと思い浮かんだ人物がいます。味の素の創業者、鈴木三郎助です。
鈴木の物語は、単なる調味料メーカーの創業記ではありません。「おいしさ」という曖昧な文化を、科学という道具で「翻訳」し、世界中に流通する「情報」へと変えたプロジェクトでした。そしてその過程で巻き起こった摩擦は、一世紀を経た今も、形を変えて繰り返されているのです。
物語の始まりは1908(明治41)年、東京帝国大学の研究室です。化学者の池田菊苗博士は、ある違和感を抱いていました。
「眼を悦ばす美麗なる色素や嗅覚を楽ましむる馥郁(ふくいく)たる香料は化学工業によりて数多く製造されつつあれども、味覚に訴ふる製品はサッカリンの如き恠し気(あやしげ)なる甘味料を除きては殆んど稀なり」
美しい色素や、香り豊かな香料は化学工業で次々と生まれている。なのに、なぜ味覚に訴える製品は存在しないのか――というのです。
そんな疑問を抱えていたある日、池田は湯豆腐を味わいながら、昆布だしには説明し難いうまさがあることに思い至ります。彼はその正体がアミノ酸の一種であるグルタミン酸であることを解明し、自ら「うま味」と名付けました。
しかし、この時点ではまだ研究室の中での科学的発見に過ぎません。この発見を、社会を動かす事業に変えたのが、鈴木三郎助でした。
鈴木家は、もともと神奈川県の葉山で、海藻の一種であるカジメを焼いてヨードを抽出する事業を手掛けていました。鈴木三郎助は2代目に当たります。
1908年の初め、一つのうわさを耳にします。
「昆布の研究をしている博士がいるらしい」
なにか自分の事業と関わりがあるかもしれないと、紹介状を手に東京帝国大学の研究室を訪ねました。ところが、彼が当初思っていたものとは話が違っていました。白い粉末をお湯に溶いたものを、湯飲みで飲まされます。博士が取り組んでいたのは、ヨードではなく「味」だったのです。
そして、池田から事業化を持ちかけられます。思いがけない提案でしたが、鈴木はそれに応えました。1908年に池田が特許を取得すると、翌1909年、鈴木によって世界初のうま味調味料「味の素」が発売されます。
鈴木が発揮した天才的な感覚は、商品名のネーミングにありました。
当初考案した「味の精」は、酒精(アルコール)や甘精(サッカリン)と紛らわしく、「鰹の元」「味の王」「味の元」といった候補も検討された末、「味の素」に決まったと伝えられています。かっぽう着姿の女性が炊事をする様子に「味の素」の文字を配した商標で、売り出されました。
当時、西洋では、味覚は「甘味・酸味・塩味・苦味」の四基本味で説明されていました。そこに「うま味」という第五の味を持ち込むというのは、大げさに言えば味覚の体系そのものへの挑戦です。
この製品を、もし「グルタミン酸ナトリウム」という科学用語のまま売り出していたら、普及の速度はまったく違ったものになっていたでしょう。鈴木は「味の素」という、誰の耳にも直感的に響く言葉を選びました。科学をそのまま提示するのではなく、人々が理解できる文化的な言葉に置き換える。この優れた翻訳こそが、普及の決定打となったのです。
次ページでは、味の素が単なるヒット商品でなく、「第五の味」として世界に「味覚の再定義」を促し、「世界中の料理が、どこでも同じようにおいしい」という環境を創り出すに至った功績を掘り下げます。また一方で、現代のAI論争にも通じる「科学と文化の摩擦」という普遍的な問題を投げかける存在であることを論じていきます。







