Photo:European Union/AI Generated/ChatGPT
いま私たちが当たり前だと思っている日本の企業の姿や、働き方、組織の常識は、最初にそれを形作った設計者や実装者がいる。『日本を創った57人の経営者』の本稿では、ソフトバンクの創業者、孫正義氏を取り上げる。稲盛和夫、松下幸之助と並び、同氏もまた、経営に「宗教」を持ち込んだ経営者だ。もっとも、その宗教の中身は「理念」や「人格修養」ではない。孫氏が信仰の対象にしたのは、テクノロジーがもたらす未来そのものだった。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
筆者が見た30年以上前の孫正義
カネの論理を超える感覚
前回の稲盛和夫、前々回の松下幸之助と、「経営と宗教」をテーマに考察してきました。
同じ文脈で取り上げたいのがソフトバンクの創業者、孫正義氏です。同氏もまた、経営に「宗教」を持ち込んだ経営者だと、筆者は考えています。
もっとも、その宗教の中身は「理念」や「人格修養」ではありません。孫氏が信仰の対象にしたのは、テクノロジーがもたらす未来そのものでした。
孫氏は一貫して、「株主の理解」よりも先に、「自分が信じる未来」に忠実であろうとしてきました。そして、その未来を信じてくれる仲間が必ずどこかにいるとして、その仲間をいかに増やすかに経営の力を注ぐ。その姿は、どこか宗教家の振る舞いに似ています。
有名なのが、ソフトバンク創業直後の「みかん箱演説」です。
1981年、アルバイト社員2人だけの事務所で、孫氏はみかん箱の上に乗り「30年後には、豆腐屋さんのように1丁(兆)、2丁(兆)と数えるぐらいの会社にする」「1億2億はモノの数え方であって、企業を数える単位じゃない」と演説しました。2人は笑って聞き流し、1週間もたたずに辞めてしまったといいます。
まだ何もない場所で誰も信じない未来を語り、聞き手が去っていく――これはまさに「教祖」の原型のようなエピソードです。
私は1994年7月にソフトバンクが株式公開を果たす前から、この会社と孫氏を取材してきました。「週刊ダイヤモンド」1994年10月22日号には孫氏のインタビュー記事が載っていますが、これが同誌における孫氏の初登場です。当時20代だった私にとって、彼は最初から“普通の経営者”ではありませんでした。
いまでこそソフトバンクグループの決算説明会は、ホテルなどの大会場で行われ、メディア向け、アナリスト向けに分かれ、オンラインでも中継される巨大イベントです。しかし、上場前後の説明会はまったく違いました。
小さな会議室に記者が10人ほど。孫氏はホワイトボードを背に立ち、右肩上がりのグラフが書かれた資料を基に、いかに自社の未来が明るいかを語ります。その口調はいまと変わりませんが、まさか今日のような世界的企業になるとは、出席していた記者たちも信じていなかったでしょう。
ただ、株式公開に際して、彼の「おカネの使い方」は際立っていました。
初値は1万8900円。孫氏は発行済み株式の約7割を保有しており、株式の時価換算で2000億円を超える資産を手にしました。
その直後のインタビューで、彼はこんなことを言っています。
「売り逃げするつもりはない。会社の業績やビジョンに賭けてくれる人たちに、最初から無理をさせたくない」
そのために、直前の決算では利益を最小限に抑え、公開前に大型提携などの発表を控えることで「できるだけ安い価格で公開することを目指した」というのです。しかも、上場によって生まれた含み益は、株主だけでなく社員にも還元されました。孫氏は自身の持ち株を、特別報酬として時価ベースで社員に贈与したのです。その額はチームリーダーで2000万~3000万円、役員クラスでは1億円に及んだといいます。
孫氏自身が「1年で1億円使っても、200~300年かかる。本当に使い切れない」と語るほどの個人資産を、「会社を大きくするには、社員に豊かになってもらわなければならない」という理屈で、惜しげもなく手放したのです。
「20年後には、株価は最低3倍くらいになるだろうから、私のいま持っている株も1兆円くらいの価値になる。500億円譲渡したからといって、経営権を失うほど持ち株比率が下がるわけじゃない」――そうした計算に基づく贈与プランでした。
上場によって手にした莫大な資産を、彼は「自分のもの」としてではなく、「未来を早送りするための燃料」として扱っていたのです。この感覚は、サラリーマン記者だった私の理解を超えていました。
この後も、孫氏がわれわれとは別のルールと発想で生きていると感じさせる出来事が続き、筆者は孫氏を経営者としてではなく、一つの「思想」として見るようになります。そして孫氏自身、事業家であると同時に、未来を提示し、それを信じる共同体をつくるという「教祖」的な振る舞いを強めていきます。次ページでは、なぜ孫氏が松下幸之助や稲盛和夫と同様に、宗教的な経営者なのか。そしてその「帰結」の行方について論じていきます。







