ご存じのとおり、和食は2013年12月にユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界無形文化遺産として登録されました。きっと今まで以上に、世界中の人たちが日本の食文化の豊かさを知る機会は増えるはずです。私たちも、もっと世界に向けて発信していきたい。そんな思いから、パリの中心地にお店を出すことを決めました。
パリは、なんといっても欧米食文化の中心地です。日本酒の一大市場になりつつあるアメリカ・ニューヨークの高級レストランもみな、パリを向いています。ですから、パリで、私たちが提案する「日本酒の世界標準」を確立できれば、おのずとニューヨークやその他海外都市に広がっていくでしょう。ワインが世界中で愛されるように、日本酒ももっとたくさんの人に愛していただきたいと願っています。
もちろん、私たちの力だけでは無理なので、レストラン部門のプロデュースは超一流の日本料理店「青柳」の小山裕久さんにお願いして準備しています。店舗設計も、世界で勝負するならこの人!と隈研吾さんにお願いするなど、オール・ジャパンの力を結集してヨーロッパに戦いを挑みます。
どん底からのスタート
このような大きな野望を持つ旭酒造ですが、初めから世界進出を見込んで、いわゆるマーケティングだの戦略だのを立ててきたわけではありません。
山奥の小さな酒蔵での私の第一歩は、そんな立派なものではなく、それはもう、死ぬか生きるか、というどん底からの重く苦しいものでした。
旭酒造の三代目、長男である私は、父親から勘当されていました。酒蔵を追い出され、日本酒から離れた場所に身を置いていた私でしたが、ある日突然、父の急逝を受けて酒蔵を継ぐことになったのです。1984(昭和59)年のことでした。
酒蔵を継いだ当時、旭酒造は山口県岩国市のなかでも、しんがりの4番手メーカー。焼酎ブームにおされた日本酒市場の縮小に先行して、売り上げは急減していました。