突然任された酒蔵は、坂道を転がり落ちるかのように、急速に売り上げを落としている。この状態に呆然とする私は、自分の死亡保険金をそろばんで弾いてしまうほど、追い詰められていきました。小さな酒蔵も、そこで働く人たちも、そして私自身も、このまま山奥で朽ち果ててしまうのか…。ふたりの子どもの寝顔を見ながら、明日のことを考えては恐ろしくなり、眠れぬ日々が続きました。
死ぬか生きるかーーだったら、やれることをやってみよう。
目の前にある常識をすべて疑い、まったく新しい旭酒造に生まれ変わろう。
瀕死の状態ならば、失うことを恐れる理由などない。
山奥の小さな酒蔵の三代目は、背水の陣で何もかも変えることを決めたのです。
目の前の危機を切り抜ける連続
小さな酒蔵であることが、どうすれば強みになるのだろうか。そう考えて、小規模な仕込みでないと造れない、しかも少量ずつでも愛され続ける純米大吟醸酒にしぼりました。
山口の4番手なら、どこで勝負をすればいいか。地元で勝てないのであれば、いっそ遠くへ、東京を中心とする全国市場へ展開できるよう経営の舵を切ってきました。
「どうやら旭酒造は潰れそうだ」と経営難を聞きつけて、酒造りを総括する杜氏がいなくなった。じゃあ、私と社員だけで「手本書(マニュアル)」どおりに酒を造り、可能な限り数値化して品質の安定化をはかろうじゃないか。
そこには、経営美学もマーケティングもありません。
いかにして目の前の危機を切り抜けるかーーその連続でしかなかったのです。
そこにあった唯一の思いは、ただひとつ。
「ああ、美味しい」と言っていただける酒を造ることでした。