出雲 ミドリムシの屋外大量培養に成功した時のことはよく覚えています。
2005年の12月16日、夕方の4時20分くらいの出来事でした。研究担当の鈴木が「できました!」と石垣島から電話してきました。私は普段、そうした時は興奮するタイプです。一方で鈴木は冷静な研究者なのです。その鈴木が「できた!できた! できた!」と、喜びを大爆発させていて、私は全部喜びをとられてしまったんです(笑)。
そして私は不思議と波のない水面のような落ち着いた気持ちで、ミドリムシの技術がサイエンスになった瞬間を受け止めていました。すごく落ち着いた気分だったのを記憶しています。その後に、ミドリムシの研究者は100人くらい日本にいるのですが、代表研究者にしてユーグレナの技術顧問の中野長久先生がお元気なうちに、ミドリムシがサイエンスになったことがたまらなく嬉しくなりましたね。
松久 出雲さん同様、「一生懸命生きる」のが私の生き方であり、情熱の源です。駆け引きをしながらではなくて、自分のやっていることに満足できる仕事をしたいと思って今まで生きてきました。死ぬまでこの生き方は変わらないと思います。今もそんなふうにして生きていられる自分が幸せです。
60歳を過ぎた今、自分の人生を振り返っても、やっぱり“Maybe I did it.(もしかしたら、僕は成し遂げたのかもしれない)”なんです。まだ“ I did it.(成し遂げた)”とは言えないし、きっと一生言えないんだと思います。