企業勤めのビジネスパーソンの多くにとって、人事部門とは「遠くにあるもの」であり、「自分が行く(異動する)先ではないところ」、場合によっては「なんだかコワい部署」かもしれません。でも、「現場がいちばん!」と思っているあなたにも、突然「それ」がやってきました。 本連載は、図らずも「人事な人」になってしまったみなさまに向け、戸惑いと不安を解消し、前向きで、かつクリエイティブに人事の仕事を進めるためのヒントをお伝えするものです。
みなさんは人事に
異動したかったですか?
みなさんはじめまして。このコーナーを担当することになった北村士朗です。どうぞよろしくお願いします。
このコーナーはタイトルの通り、図らずも人事部門や研修部門に異動になったり、人事や研修の担当になった(させられた)みなさんのためのコーナーです。
日本企業では、営業や生産などの現場や経営企画部門等のスタッフ部門で好業績をあげた人が、人事部門に異動になったり、総務部門や事業部の人事担当になるケースが多く見受けられます。そのほとんどの場合、当人は人事に異動したかったわけではなく、まさに図らずも「人事な人」になってしまった、ということになります。
もちろん、現場のこと、人事以外のことが分かった上で、人事業務にあたることは良いことなのですが、もともと人事としての専門知識を持っていて人事に異動したわけではありませんので、最初のうちは分からないこと、戸惑うことも多いのではないでしょうか。みなさんはいかがですか?
このコーナーは、そんなみなさんと一緒に人事や人材育成・研修などのことを考え・学んでいく場にしたいと考えています。
かくいう私もかつては「図らずも人事な人になった」一人でした。少し私が歩んできた道を紹介させてください。
「君にはHRAに行ってもらうから」
「それ何ですか?」
今、私は「eラーニングや企業内教育・高等教育の専門家を養成するインターネット大学院」である熊本大学大学院社会文化科学研究科教授システム学専攻に在籍しています。しかしずっとアカデミックの世界にいたのではありません。2005年までは東京海上日動保険で働いていました。
私は東京海上火災保険(当時)に新卒で入社し、京都、東京の立川、茨城の鹿島、北海道の旭川で約10年間営業を担当していました。成績も人事上の評価も良かったり悪かったりでしたが、私自身、営業が好きでしたので、ずっと営業でいたいと思っていました。また、東京育ちの私にとって、東京以外の土地での生活はとても楽しいものでした。
ところが旭川にいたころ、B型肝炎が発症したため、入院し、退院後も時短出勤で半ば自宅療養を続けざるを得なくなりました。そんな中、社内で懸賞論文の募集がありましたので、有り余る時間を使い、当時業界全体を揺るがした問題を題材に、パソコンやネットワークを用いた情報共有の提言をしました。この論文を提出した頃にまた肝炎が悪化し、専門医による治療を受けるため、旭川支店に籍を置いたまま東京に転居し、また約3ヶ月間の入院生活を送ることになりました。
そして退院したときに人事から呼び出され、人事の担当部長から異動先が告げられました。「君にはHRAに行ってもらうから」。私は思わず口にしてしまいました。「それ何ですか?」。