ウクライナ政府と、同国からの独立を目指し東部を実効支配する「親ロシア派」は9月5日、「停戦合意書」に署名した。小競り合いはあるものの、現在のところ、停戦合意は大方守られている。8月末、プーチンは、ウクライナ「東部」の独立について語りはじめた。9月に入って、ウクライナ大統領ポロシェンコは、ロシアとの「全面戦争が迫っている!」と叫んでいた。それが、なぜ突然「停戦」になったのか?今回は、「ウクライナ内戦」に関係している勢力、ロシア、ウクライナ政府、親ロシア派、欧州、米国などの意図と現状を解説しよう。
革命からマレーシア機撃墜、そして停戦まで
ウクライナ問題の経緯をおさらいしよう
ウクライナを巡る欧米とロシアの「代理戦争」は、いくつかの大きな事件を通過してきた。事の発端は今年2月。ウクライナで革命が起こり、親ロのヤヌコビッチ大統領がロシアに亡命した。
3月/ロシアは、ウクライナ領クリミア自治共和国と
セヴァストポリを併合。
4月/ロシア系住民の多い東部諸州が、独立を宣言。内戦勃発。
5月/ウクライナで大統領選挙が行われ、親欧米のポロシェンコが勝利。
「革命政権」は、選挙を経た「合法政権」に代わった。
7月/マレーシア航空機墜落事件発生。
「親ロシア派の誤爆」との見方が強まる。
これらの事件を通して、ロシアと、ウクライナ内の「親ロシア派」の立場はどんどん悪化していった。ここまでの詳細は、バックナンバーをお読みいただくとして、その後どうなったのかを見てみよう。
まず、8月7日、ロシアは欧米への「報復制裁」を実施した。欧米からの食品輸入の禁止である。これは、意外に効果のある制裁だった。日本農業新聞8月25日付は、ロシアの報復制裁の影響について、以下のように報じている。
<ロシア向け輸出額の4割が農産物というギリシャでは、行き先を失った野菜・果実農家が支援を求め、デモを繰り広げている。地元メディアによると、ロシアに輸出されるのは果実だけで16万トン、金額で1億8000万ユーロに達する。> <これらの措置によって、EUは経済面で1兆円近くを失い、13万人の雇用が脅かされるという試算も出ている。>
実際、ロシアのこの措置は、欧州諸国を分裂させた。対ロシア制裁に反対の国が続出しているのだ(ロシア自身も、食品価格のインフレが起こって苦しんでいるが)。
この報復制裁発動は、ロシアが、本格的に「逆襲」を開始したことを意味していた。そして、このころから、ウクライナ東部の戦況に変化がではじめる。いままでジリ貧で、「降伏間近か!?」と思われていた、「親ロシア派」が突如強くなったのだ。ロシアのテレビでも、「親ロシア派連戦連勝!」のニュースが、毎日報じられるようになっていった。