NATO首脳会議が開かれているさなかに、突如、ウクライナの停戦合意が成立し、紛争当事者と非難されていたロシアは一転して仲介者となった。一方、米国は中東で勢力を伸ばす「イスラム国家」のシリア領内の拠点を攻撃することを決定。これまで打倒の対象だったシリアのアサド政権を支援する結果になる。「敵の敵は味方」は戦略・国際政治の不易の原則とはいえ、この2大事件はその複雑怪奇さを我々の眼前に示した。
ロシアは紛争当事者から仲介者に
「昨日の敵は今日の友」、これを裏返せば「今日の友は明日の敵」となった例は軍事史・外交史に数多いとはいえ、東ウクライナの親露分離派とウクライナ政府軍の内戦で、ウクライナ政府がこれまで「侵略者」と呼び、米・西欧諸国が激しく非難していたロシアが突如「仲裁者」となり、プーチン・ロシア大統領の主導で9月5日停戦合意が成立したのは誠に珍妙な事態だ。
また10日にはオバマ米大統領が、シリア東部からイラク北部に勢力圏を拡大する「イスラム国」打倒のため、シリア領内の過激派拠点に航空攻撃を行う事を表明した。これまで米、西欧諸国、トルコ、サウジアラビア、カタール等はシリアのアサド政権打倒をはかり過激派が主力となっていた反政府勢力を支援してきた。ウクライナがロシアの調停を受け入れたり、米国が敵、味方を事実上逆転させざるをえなくなったことは、これまでの米国の情勢判断の誤りを示している。
東ウクライナの停戦は8月26日、プーチン大統領とウクライナのポロシェンコ大統領がベラルーシの首都ミンスクで初の個別会談をして方向が決まり、9月3日の両者の電話会談で大筋が固まったもので、プーチン氏は停戦案として「双方の攻撃停止」「国際的停戦監視団の駐留」「捕虜全員の交換」「人道支援物資輸送の回廊設定」「ウクライナ軍の東ウクライナからの撤退」「一般市民に対する航空攻撃の禁止」など7項目を示したと報じられた。5日のミンスクでの停戦協議には、ウクライナ政府代表、分離独立を宣言しているドネツク州、ルハンスク州の「人民共和国」代表がプーチン案を基礎に協議し、駐ウクライナのロシア大使、欧州安全保障協力機構(OSCE)代表が立合人となり、ウクライナ政府代表と分離派代表が署名した。ロシアは紛争の当事者ではなく、OSCEと共に停戦の仲介者になったわけだ。7日にOSCEが公表した停戦合意文書では「ウクライナ軍の撤退」は入らず、代わりに「違法な武力集団、武器、傭兵のウクライナからの撤退」(ロシアの義勇兵やウクライナの極右集団のことか)が書かれた。最も重要なのは「ドネツク、ルハンスク両州の特定の地域に暫定的自治権を与える法律を制定する」として大幅な自治権を持つ「特別な地位」を認めたことだ。
なぜウクライナは停戦に応じたか
国の中で一部地域の住人が分離独立を目指して武装蜂起し、州都を占拠、政府軍と戦うのは「反乱」であり、日本の刑法でも「内乱罪」の首謀者は死刑か無期禁錮だ。政府がそれを鎮圧できず、反徒と「停戦協定」を結び、自治権を認めるのは明らかに政府側の敗北だ。またウクライナは従来「数千人のロシア軍が侵攻してきた」と主張していたのに、当のロシアの仲介により停戦、とは辻褄の合わない話だ。ウクライナがこれを呑んだのは政府軍が各地で分離派民兵等により寸断、包囲されて2000人以上の捕虜を取られており、さらに大量投降が起きかねない状況にあったこと、ウクライナ国庫はほぼカラで戦費が続かないこと、ロシアからの天然ガス供給は6月16日以降代金未納を理由に停止され、冬を前に妥協を迫られていること、によると考えられる。