議員の定数と報酬は各自治体がそれぞれ条例で定めているが、実はそれらの算出根拠を明確に説明できる自治体は少ない。なぜ議員定数がこの数で、なぜ議員報酬がこの額なのか、そして、それらが最善・最適なものなのかといった質問に自信満々で答えられる議会関係者はおそらく、いないだろう。

 仮に、現在の定数や報酬の算出根拠を示せたとしても、算出根拠そのものが最善・最適なのかどうかについては、答えに窮すに違いない。

 望ましい議員定数やあるべき議員報酬について明確な答えを出すことは、実のところ困難を極める。それどころか、議員定数と報酬はどうあるべきかという本質的な議論が置き去りにされているのが、実態である。算出する方法とその根拠や理由などが不確かなままに決められていたのである。

感情は理性と知性を押し潰す
議員の不祥事で浮上する定数削減論

 確かに、議員定数や報酬をめぐる議論は各地で盛んに行われているが、定数報酬の削減ありきの論がほとんどだ。その背景にあるのは、膨らむ一方の議会・議員への不信感である。

 もともと議会・議員の役割や機能は曖昧で、住民からすると何をやっているのかわかりにくい。議会・議員の側も発信力や説明力に欠け、その意欲も希薄であるため、住民の関心を集めることなどほとんどない。存在意義そのものが住民に感じられなくなっているのである。

 そんな議会・議員がメディアなどに大きく取り上げられるのは、決まって資質に欠けた議員による様々な不祥事や、首長と不毛な政争を繰り返す醜い姿などである。お粗末な議会・議員の実態を見せられ、住民の不信感が一気に増幅するのである。

 税金を食い物にするごくつぶし集団としか見えず、住民の怒りが爆発してしまう。「けしからん!」という思いがそのまま、定数報酬削減論につながっていくのである。感情は、理性と知性を押し潰してしまいがちだからだ。

 住民が低レベルの議会・議員を変えねばならないと危機感を抱くのは、至極当然と言える。しかし、議会改革の手段として定数報酬の削減論に突き進むのは、いささか乱暴と言える。定数報酬という量の削減が、必ずしも議会・議員の質の向上につながるわけではないからだ。