先発からリリーフに変わり
輝きを取り戻した2人のピッチャー
動機付けに際して、役割認知は重要な問題だ。所詮、企業や組織の中での仕事というものは役割であり、役目に過ぎない。だから仕事は、その人が本当にやりたいことかどうかよりも、それ以上にやるべきことをちゃんとやることが大切だと思う。
たとえばピッチャーには先発とリリーフ役がいる。リリーフ役の中にはセットアッパーもいればクローザーもいる。早い段階で先発が崩れた場合のロングリリーフや、敗戦処理という役目もある。
役割認知の仕方には大きく2つある。自発的役割認知と、義務的役割認知だが、とりわけ日本人には後者が多い。皆にこういう役割を担うことを期待されていると思うと、それが少々自分のやりたいこととずれていても、「わかりました。やりましょう!」となって、燃えるタイプの人が多いのだ。
プロ野球のピッチャーにも実はこういう人が多い。必ずしもピッチャー全員が強く先発をやりたがっているというわけではない。「監督やコーチに言われたところで投げるだけ」と言っている選手も多いそうだ。自発的な人には理解し難いことだが、義務的役割認知が何の苦でもないと言う人は実は多い。
もっとも、先発として数年頑張ったが、もう1つ抜けられないまま調子を落とした、あるいは怪我をしてしまって、もう先発でローテーション入りすることは難しいと判断をするときは自分の役割を変えることになるわけで、この場合の役割認知は簡単ではないだろう。そんなときに、監督やコーチの手腕が問われる。
たとえば、オリックスの岸田護と平野佳寿という2人のピッチャーは、先発からリリーフに配置転換されたおかげで輝きを取り戻した。2人に別のポジションを与えたのは、当時の岡田彰布監督(一軍)だった。
岸田は2005年の大学・社会人ドラフトでNTT西日本からオリックスに入団。4年目の09年に開幕ローテーション入りして、二桁勝利を果たす。しかし、翌年は成績が振るわず、打ちこまれた。
岡田監督はもともと岸田がリリーフに適していると思っていたので、その年の5月12日からいきなり岸田をセットアッパーに起用。さらに、当時のクローザーが調子を落としたこともあって、6月からは彼にクローザーを任せた。すると岸田は光を取り戻し、12セーブとリーグ6位の成績を収めた。
一方の平野は05年、大学から希望枠でオリックスに入団し、1年目から先発ローテーションに定着した。鳴り物入りで入団した大型新人であったわけだ。
06年には7勝、07年には8勝の成績を収めたが、二桁勝利までは届かないうちに、08年に右ひじを負傷し、そのシーズンを棒に振り、翌09年は3勝12敗と散々だった。
そんな平野を岡田監督は10年からセットアッパーに配置転換した。平野は見事に蘇った。チーム最多の63試合に登板し32ホールド、防御率1.67を記録した。
2人の配置転換に関して岡田監督は「成績が悪い者は環境を変えてやったほうがいい。同じ役割で頑張るのはなかなか難しい」と言っている。違う役割を与えて、それに期待をかけることで、本人を奮起させるというわけだ。