灘高のエリート教育はなぜ「言葉」にこだわるのか?

【津田】じゃあ、表面的な改善で終わらせずに、原理原則までどうやって立ち戻るのかという話になると、やはり「言葉」の力が必要になるというのが持論です。

【鈴木】それはまったく同感ですね。

【津田】企業研修に出てくる社会人たちと話していると、本当に言葉がいい加減なんです。

【鈴木】そうですか。

【津田】「グローバル」とか「ソリューション」とか、外来語がいっぱい出てくるんですけど、「それってなんなの? ソリューションと解決って何がちがうの?」と聞くと、モゴモゴ言っていてはっきり答えられない。

【鈴木】「言葉の意味」という話でいえば、灘高には国語の森本先生という方がいました。森本先生は本当に「言葉」にうるさかったですよね。言葉の意味がしっかり言えるまで、30分も40分も立たされている生徒がたくさんいたのを覚えています。

【津田】僕も森本先生には個人的にご自宅で「古文」を習っていました。古文を日本語に訳していくんですが、わからない部分を勝手に想像して訳したりすると、ものすごく叱られた。
国語というのは、いい加減に想像してものを言うことと違うんや。君らはまず言葉の意味がはっきりわかってへん。勝手に想像するな!」って。

【鈴木】どやされましたよね(笑)。だから先生に指された生徒は、本当にひと言ひと言、言葉を選びながら答えていました。必死で頭をフル回転させてね。

あの授業というのは「どれだけ正確な言葉・表現を使うか」という点でものすごく鍛えられましたし、いま私が政治家や官僚と仕事をする中では本当に役に立っています。

【津田】そうでしょうね。

【鈴木】似て非なる言葉の違いを、境界線をきっちり引いてちゃんと言い分けられないといけない。まさにdefinition(定義。語源は「境界線をはっきりさせること」の意)ですよ。

仕事というのはやはり「言葉」の力がすべてのベースなんです。
高校時代、先生はよくこう仰っていました。

君らはこれから東大に入って、将来は弁護士とか国家公務員になろうと思ってるんやろ?
言葉遣いがいい加減な連中が、人を弁護したり判決・法律を書いたりしたら、人の命に関わる。無罪の人が有罪になるかもしれん。
言葉を疎かにしたらあかん!

(第2回「私大文系」入試がマニュアル人間を生み出す!?」に続く)
[12/24配信予定]