「『これまでいかに自分が何も考えていなかったか』を痛感しました」——去る10月26日に開催され、大好評を博した津田久資氏『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか』スペシャル著者セミナー。

即座に100名を超える参加希望者が殺到し、当日には熱気あふれる満席の会場から活発な質問が飛び交った。

好評につき、バージョンアップ版の「追加開催」が決定した同セミナー(詳細は本記事末尾を参照)に先駆けて、前回行われたセミナーの様子を少しだけご紹介していこう(第2回/全4回)。

連載 思考力を高める教室(全4回)

・第1回 ▶▶▶ ハーバードMBAはなぜ「講義をやらない」のか?

・第2回 ▶▶▶ (今回)

・第3回 ▶▶▶ 伸びない人に共通する「コロンブスの卵」症候群
(12/15 tue配信予定)

・第4回 ▶▶▶ 君は「ヒリヒリするような悔しさ」を本当に知っているか?
(12/18 fri配信予定)

MBAの価値はいくらだったか?

たとえば、MBA。いまはMBAをとる人ってけっこうたくさんいます。でも、1960年代の日本はどうだったというと、そもそも日本にはビジネススクールがなかった。
そもそも、ハーバードだとかペンシルベニア大ウォートン・スクールだとかのビジネススクールに行ってMBAをとろうとしたときにいくらかかったか、考えてみてください。いくらくらいだと思いますか?

(会場)ん〜、3000万円くらい、でしょうか?

昭和29年にJAL1便、つまりサンフランシスコ便が開通したとき、この片道運賃がいまの金額に直すと800万円から900万円だったと言われています。つまり、行って帰ってくる旅費だけでも2000万円くらいかかった。それ以外の授業料とか滞在費を考えたら、まあ最低5000万円はかかるんですね。億レベルでもおかしくない。

ですから、昔のビジネススクール出身者って大金持ちだったわけです。たとえばハーバードの出身者だと正田修さん。この方は日清製粉のオーナー家ですし、皇后・美智子様の弟さんですよね。あとは、ペンシルベニアのウォートン・スクール出身者だと小林陽太郎さん。この方ももともとお父様が富士フイルムの社長さんですからね。

ですから、以前であれば「お坊ちゃまが学ぶことで優位に立つ」っていうのは、ビジネスの世界では当たり前だったわけです。つまり「学ぶ」の第1条件としては、まず「情報にアクセスできるかどうか」ってことがあったわけですね。そのためには、お金持ちかどうかというのが非常に大きかった。