ドロドロの後継者争い
どう答えるのが正解?

 閑話休題。曹操もいよいよ老齢期に入り、後継者問題に頭を悩ませていたころのこと。嫡男の曹丕(そうひ)にすべきか。三男の曹植(そうしょく)にすべきか。

 曹操がいつまでも決めかねたため、家臣団もどちらかに分かれて分裂状態となりますが、こうした中にあっても、賈詡はどちらに付くでもなく沈黙を守ります。ついに考えあぐねた曹操が賈詡に諮問します。

「曹丕にすべきであろうか、曹植にすべきであろうか。そなたの忌憚ない意見を聞きたい」

 しかし、それでも賈詡は押し黙ったまま、答えようとしません。重ねて問われた賈詡は、ついにその重い口を開きます。

「これは申し訳ございませぬ、ちょっと考え事をしておりましたもので」
「ほぉ? そなた、わしの話が上の空になるほど何を考えておったのじゃ?」

「袁紹と劉表父子のことを考えておりました」

 この2人はどちらも嫡男を廃したことで国を亡ぼした者たちです。下問されてもなお、直接答えることを避け、言葉を選んで答えたのでした。曹操は吹っ切れたように大いに笑い、曹丕を後継者とすることを決意します。曹丕はこれを聞いて大いに喜び、彼が即位するや、彼の功に報いてただちに賈詡を「太尉」としました。

 太尉といえば、当時、位人臣を極めた最高位です。曹丕が帝位に就けたのも賈詡のひと言のおかげとなれば、皇帝すら賈詡を下にも置かぬ扱いになります。もはや、賈詡はこわい者とてない地位に昇り詰めたのです。しかしそれでもなお、彼は謙虚さを失いませんでした。

 今から5000年ほど前のこと。現在のイラクを中心に「ジッグラト」という聖塔がいくつも造られました。その聖ジッグラト塔が何のために造られたのかすら、後世に伝わることはありませんでしたが、放置され、半分崩れかけたジッグラトだけがそこに在り続けます。これを横目に土地の人々によってひとつの伝説が語られるようになりました。

「ん? あの塔は何だってか? あれはな、昔々、思い上がった人間が自らの力を示さんと、『天まで届くような高い塔』を造ろうとしたなれの果てじゃよ。しかしな。この事業に、神が怖れを抱き、嫉妬なされたのじゃ。こうして神の怒りに触れ、たちまち塔は倒壊、あの姿となってしまったのさ」

 全知全能の神ですら、人間如きの所業に嫉妬する。そして、巨大な聖ジッグラト塔も嫉妬の前にはたちまち崩れ去る。

 これは伝説ですが、これに象徴されるように、どんなに高い地位に就こうとも、富を築こうとも、下々の「妬み」、主君の「怖れ」の前には「津波の前の砂城」だということを賈詡はよく理解していました。

 賈詡は、あらぬ疑いを受けないために私的な交際を避け、子女の婚姻相手に貴族を選ばぬようにし、何をおいても目立たぬようひっそりと暮らします。そこまで細心の注意を払ったからこそ、彼はこの動乱の時代を生き抜くことができたのでしょう。何よりも警戒すべきは、「強大な敵」よりも「周囲の嫉妬」なのです。