「覚悟」をまっとうする最期を
迎えるということ

 ちなみに、「生き様」ということに関して言えば、僕は昨年、父と母の両方を亡くした。父親は一昨年の夏、末期癌が発見され、余命4ヵ月と宣告された。昔の日本男子らしく恥を知っている父親は、自分がただ死を待つだけの存在になってしまったことを恥じて、病院のスタッフに恐縮しまくって入院生活を送り、医者の予告通り、ほぼ4ヵ月後の昨年正月に静かに息を引き取った。死ぬ前日、家族で見舞いに行ったのだが、そのときはもうほとんど意識がなかった。それでも、娘に対してかすかな声で「ありがとう」と言ってくれた。父親の最後の言葉である。

 母親も3年くらい前から認知症を発症し、自宅で転倒し腰を骨折したせいか、身体もすっかり弱り、ほとんど寝たきりの状態だった。父親が亡くなって以降、認知症は進み、身体もさらに弱った。昨年春頃からは自力で食事ができなくなり、点滴で栄養を補給。しかし、ついにそれもできなくなり、鼻に経管をしていた。認知症患者が経管をすると自分で外してしまうことがあるので、そうさせないために大きなミトン(手袋)をはめられていた。母親はそれを嫌がり何度も外してくれと僕や弟に懇願していたが、そうすると母親は栄養がとれなくなってしまう。なので、僕らはミトンを外せなかった。

 しかし、やがて経管も難しくなり、医者からは胃ろうを打診された。いろいろ悩んだが、胃ろうには問題も多いと聞いていたし、昔から母親は「チューブだらけの身体になってまで生きていたくない」と言っていたこともあり、医者と相談して胃ろうはしないことにした。そして、経管も外すようにお願いした。つまり、延命処置を拒否した。僕は、ある意味で母親をここで死なせよう、殺そうと決意したのだ。

 医者は苦渋の表情を浮かべながら、「(経管を外したら)もったとしても夏くらいまでかなあ」と言いながら、経管を外すことに同意してくれた。そのことを母親に伝えた時、ほとんど意識のなかった母親の目から涙が溢れてきた。その涙を見て、僕は自分の判断が間違っていないと確信した。たいした親孝行もできていなかった僕だが、最後に少しだけ親孝行ができたのではないかと思っている。親の死期を決めることが、親孝行になることもあるのだ。医者の予告どおり、母親も8月の暑い日に息を引き取った。仲の良い夫婦は片方が死ぬと残されたほうも後を追うように死ぬと言われるが、まさにそんな死に方だった。

 つまり僕は、今回の曽野氏のエピソードを借りれば、母のために「ドクターヘリを要請しなかった」ことになる。でも、それは正しかったと思っている。父も母も古き良き日本人の「覚悟」というものを持っていた人間だったからこそ、その覚悟をまっとうするような最期を迎えるための手助けができたという意味で。