自分の子ども時代を振り返り、「今ならあの教育はアウトだよな」と思うことはないだろうか。最近、筆者が小中学校の友人たちと飲み会をするときに、よくこうした話題になる。在りし日の教育ならぬ“恐育”現場について、社会人男女に思い出を聞いた。現在ではこんな“恐育”は過去のものだと思いたいが……。(取材・文/蒲田和歌)
「今ならあれはないよね……」
飲み会で話題になる子ども時代の体罰
「あの先生、今だったら一発でアウトだね」
最近、筆者が小中学校の友人たちと飲み会をするときに、よくこうした話題になる。考えてみれば、筆者が子どもの頃は、今から考えると信じられないような体罰が、学校で普通に行なわれていたように思う。モンスターペアレントの増加もあるためか、学校が必要以上に子どもや親に気を遣う世の中になった昨今、自分たちが体験してきた時代の教育と今の教育を比べたときにギャップの大きさを感じる人が増え、こうした話が酒の肴になりやすいのかもしれない。あなたも子ども時代の友人たちと、こんな話をしたことはないだろうか。
教育現場の常識は日々変わる。1990年代の初め頃まで、「校内暴力」と言えば、生徒が教師に対して暴力を振るうことだった。今でも校内暴力という言葉は残っているが、今この言葉からイメージするものは、生徒からの暴力だけではなく、教師から生徒への暴力や生徒同士の暴力ではないだろうか。特に体罰に関しては、1990年代中盤頃からマスコミで盛んに取り上げられて問題となった。
当時中学生だった筆者は、生徒から人気のあった男性教師が「いくら体罰が問題になっていると言っても、俺は殴らなければいけないと思ったときは殴る。それでクビになっても構わない」と言っていたのを覚えている。当時はそういうものかと思ったが、今でもあの男性教師がそう言えるかといえば、違うとも思う。
教師の不祥事は度々ニュースで流れる。たとえば、昨年7月には埼玉県の県立高校の男性教師が、担当する部活動の部員を平手打ちしたとして問題になった。同5月には、大阪府の女性教師が生徒に土下座をさせてそれをスマートフォンで撮影。戒告処分となった。
これらの行為はもちろん問題だし、処分は妥当なのだろう。ただ、これを聞いて、「これで問題となるのであれば、自分の子どもの頃は……」と思う人もいるのではないだろうか。
「学校」という場所は、構造的に閉鎖的になりやすく、独自のルールの下で一方的な力に支配されすい場所だ。だからこそ、体罰にしてもいじめ問題にしても発覚しづらく、解決しづらい。そこは、ある意味「恐育」の温床になっていたのではないか。
今回、社会人の男女に、自分が子ども時代に受けた「恐育」について話を聞いた。これは昔の「当たり前」が、今はどのように当たり前でなくなったかを知るために有意義なことだと考える。一方で言えるのは、今現在の「当たり前」も数十年後はそうではなくなる可能性があるということだ。今でもまだ「恐育」が続いていないか、学校だけで通用するような恐ろしい常識にあなたの子どもが組み込まれてしまっていないか、意識しながら読んでいただきたい。