今回の北京オリンピックを観ていて気になったのは、日本男子の「勝負弱さ」だ。むろん、オリンピックは選手とスポーツ自体のために存在するもので、国のために戦うものではないことは承知しているし、日本の税金を使っているのだからもう少し何とかしろというのは筋違いの主張だ。選手はよくやったのだと思う。だが、真剣に全力を尽くした結果であるが故に、今回の事例は重要なサンプルだ。

 もちろん、男子で勝負強さを発揮した競技はあった。世界新で2つの金メダルを獲った北島康介の平泳ぎはその筆頭だし、銀メダルを獲得した太田雄貴のフェンシング、また柔道100キロ超級で金メダルを獲得した石井慧などは、本番で十分力を発揮していたと思う。

 しかし、メダルこそ惜しくも逃したもののベスト4に入った女子サッカー「なでしこジャパン」に対して、男子サッカーは予選落ちと見所がなかったし、金メダルを獲得した女子のソフトボールが立派だった分、野球の星野ジャパンの弱さは目に付いた。今回、男女論を展開する気はないが、女子アスリート達の印象は立派だったので、男子に話を絞る。

 加えて問題だと思うのは。男子のサッカーや野球は、それぞれ選手がプロとしてプレーしている競技で、今回のオリンピックの出場チームはそのプロで編成されていた。五輪での結果のよし悪しは、両競技の人気に、従って経済価値に大きく影響したはずだ。彼らは、失敗したビジネスマンでもあるのだ。日本の男が、仕事として行っている分野で本番に弱いというのは看過できない現象だ。もしかして、われわれは、ビジネスでも肝心の勝負に弱いのではないか。

頭脳勝負でも勝てなくなった日本人
ゆとり教育的「反競争主義」の弊害

 特に印象に残ったのは野球の惨敗だ。これ自体がプロジェクト失敗のケースとして独立した分析対象になりうるが、最大の敗因は、監督の人選だったろう。星野氏は短期決戦で実績の乏しい監督だし、今回の用兵を見る限り監督として有能なわけではあるまい。一流のプロ選手を選ぶなら、なぜ監督としても一流の能力がある人材を選ばなかったのだろうか。

  また、準決勝、3位決定戦を見ると、明らかにチームのムード作りにも失敗していた。星野監督がビジネス誌などで「理想の上司」として持ち上げられる理由は謎だ。