4月1日、中国地域を地盤とする中国電力は、東日本大震災直後から約五年間、社を率いた苅田知英社長が会長へ就任し、新体制へ移行した。電力システム改革、原子力への逆風、自由化への準備など難題に取り組んだ五年間を苅田会長に振り返ってもらった。

原子力に社長業の
半分は費やした

――社長在任の五年間で、最も難しかった取り組みは何でしたか。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、これまで原発の必要性を理解してくれていた人でさえも、『こんな危険なものを、まだ動かすのか』と、気持ちが揺らいでしまう状況でした。そんな中で、今の日本のエネルギー事情を考えたときには、原発は必要なんだということを縷々説明していくことは、やはりとても大変でした。原発の理解を得るために、社長業の約半分の時間を費やしたと思います。

首都圏のカープファンを取り込む、中国電力の電力自由化戦略<br />Photo by Kazutoshi Sumitomo

 同時に、電力の安定供給のために火力発電をフル稼働させました。当時は資源価格が高かったので、経営は非常に厳しい状況でした。2012年度と13年度は赤字になりましたが、その後は資源価格が下がったこともあり、なんとか会社は持ちこたえました。

――原発については、2030年の電源構成では約20%を目指すことになっています。ところが、原子力規制委員会が再稼働を認めた原発でも、司法によって止められるということが起こっています。

 私たちは司法に対してとやかく言うつもりはありません。それはこの国の骨格ですから。

 わたしたちとしては、しっかりと地元の理解を得て、規制基準をクリアしていくことをしっかり進めていきます。絶えず、自主的に安全対策を続けていく。まさかの事態があると想定してやる。それが、地元の方々の不安感を多少でも小さくできると思います。

 司法の止めるべきだという判断が出されないように説明を尽くすしかないですよ。

――電力自由化のとき、原子力はもっとも発電コストが安く、競争力があります。しかし、今のようになかなか再稼働に漕ぎ着けないのであれば、電力会社は安全対策として投じた数千億円の投資を回収できなくなります。