とても信頼できるシーク教徒は
日本の武士道にも似た価値観を持つ

 イスラム教徒が過半数以上で、インド系の住民の大半がヒンズー教であるマレーシアでも、インド本国同様シーク教徒はマイノリティだ。だが、そのネットワークは強く、かつ皆びっくりするほど働き者だ。少なくとも筆者は、シーク教徒に何か仕事をしてもらって、手を抜かれたり、騙されたりといった不快な思いをしたことは一度もない。とても信頼できる人々、という印象を持っている。

 先日、あるシーク教徒の友人とともに、シーク教の新年祭にあたる「バイサキ」を訪れた。

 シークの教義では、髪やヒゲは切らず、ターバンを巻き、短剣を常備し、銀のバングルと短袴を身に着ける。他宗教の者にそれを全く強制はしないが、寺院の中では、靴を脱ぎ、髪を隠さなくてはならない。

 祭典は3日間昼夜問わず続き、その間、訪れた者たちには、たとえ異教徒であっても食事が供される。寺院のボランティアらによってドラム缶のような大鍋で調理され、無料で皆に振る舞われる。インド北部地方のパンであるチャパティ、ミルクパスタ、マメやホウレンソウのカレーなど、彼ら発祥の地のベジタリアン料理だ。

 筆者も味わったが、驚くほど美味しい。特にチャパティはこれまで食べたどのチャパティよりも美味で、お代わりをしたほどだ。

 聞くと正月に限らず、訪れた者には、まず食事を振る舞うのがシークの習俗だという。訪問者が異教徒であっても同様だ。前述のとおり、シークはヒンズー教のカーストを否定する。すべて平等であり、訪れたものは誰であっても、同じテーブルで食事を共にするのだ。これは、昔の日本の寺社仏閣で行われていた習俗と似ている。

 そのための食材、調理はすべて寄進とボランティアで賄う。筆者が寺院を訪れたときも、100人以上のボランティアが、調理、皿洗い、掃除、子どもたちへのアトラクションなど、それぞれの役割を真面目にこなしていた。

 シーク教徒の方に話を聞くと、彼らは世俗の仕事に就き、それを精進することを重んじる。

「そう、この考え方は、日本の『武士道』と似ていると思うんだ」

 60歳を越えると思われるシーク教徒の男性は筆者にそう話した。筆者も同意した。

 実はこの考え方は、武士道のみならず、プロテスタントの教義とも似ている。社会学者のマックス・ウェーバーが名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で看破したように、「世俗の仕事を真摯に行う」という教義は資本主義を発達させる原動力になる。つまり、簡単に言えば、このような教義を持つ者は金持ちになる確率が高い。

 事実、産業革命が起こったのはすべてプロテスタント地域からであった。そしてインドでもシーク教徒は、経済的に裕福な人が多く、先述のタイガー・ジェット・シンのように国際的に成功している人も少なくない。