各方面から絶賛されたストーリー仕立ての異色の経済書に、1冊分の続編が新たに加えられた『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』が発売され、大きな話題を呼んでいます。
その一部を紹介し好評を博している本連載ですが、今回は主人公・絵玲奈が友人とNYの街中で食事をしてMoMAで現代アート作品を巡るというやや異色の展開です。しかし、NYの名物のベーグルも現代アートも、現代の世界経済の本質に繋がる、ある共通のルーツがありました。
(太字は書籍でオリジナルの解説が加えられたキーワードですが、本記事では割愛しております。書籍版にてお楽しみください)
ベーグルも現代アートも同じユダヤの流れ
「やっぱ、ニューヨークの朝はベーグルだよね~」
51ストリート3アベニューにあるエッサベーグルで沙織は言った。
「ベーグルって美味しいっていう印象ないんだけど……」
絵玲奈は時差ボケと昨日の食べ過ぎのせいもあって、もう少し寝ていたかったのに沙織に強制的に連行され、やや不機嫌に言った。
「日本のベーグルはベーグルじゃないから美味しくないよ。あれはベーグルもどき。なんでもそうだけど本場のものは美味しいよ。でも、このお店って初めて来たけど、子どものころに来たベーグル屋さんぽくないね~」
小学生のころ、ニューヨークにいた沙織は言った。
「え~、どこが?」
「だって従業員がヒスパニック系ばっかなんだもん。昔は、ベーグル屋さんと言えばユダヤ人の家族経営で、ユダヤ人のおじいさんが働いていたりしたものだから。ベーグルももうユダヤ人の食べ物っていうわけじゃなくて、ニューヨークで普通に市民権を得たってことなのかなぁ」
「だって、私みたいな日本人観光客が来るぐらいだもん、そういうことなんじゃない(笑)」
絵玲奈たちは定番のスモークサーモンとクリームチーズのベーグルサンドを選択した。
「これ、めっちゃ美味しいね」
絵玲奈は驚いた。日本で食べたのとぜんぜん違う。
「やっぱ、ニューヨークといえば、ベーグルだよね」
「なんで、ベーグルってニューヨークなの?」
「もともとはポーランドで生まれたらしいんだけど、東欧系のユダヤ人がニューヨークに移民してきたかららしいよ」
なるほど、これもアートと同じ流れか、アメリカはユダヤ人にとって新天地だったんだなぁ、と絵玲奈は思った。
「でも、ホントに中がもちもちで外がカリッとしていて、美味しいね」
「でも、ちょっと上品すぎって気がするなぁ。やっぱり。子どものころ食べたベーグルはもっと素朴で、もっとごっつい感じだった気がする。子ども1人で1個はぜんぜん無理なサイズだったし。ユダヤ人のおじいちゃんのベーグルが懐かしいな~。ヘルシーフードだから、市民権を得て、ベーグルも洗練されて都会的になったってことなのかな」
「これってヘルシーなの?」
「そうだよ。だって普通のパンと違ってバターとかミルクとか卵とか使ってないから、脂肪とかコレステロールが少ないんだよ。それで健康志向のニューヨーカーに受けたんじゃないかな」
「さすが、沙織は詳しいね」
「でも乳製品使ってないのは、ヘルシーさが目的じゃなくて、本当はユダヤ教の戒律が理由なんだよね」
「ユダヤ教ってミルクだめなの?」
「ミルクはダメじゃないんだけど、ミルクと肉を一緒に食べたらダメっていうルールがあるらしいんだよね。普段のごはんで肉と一緒にベーグル食べられないと困るから、それ用につくったパンというわけ」
「そうなんだ~ユダヤの戒律って、めんどくさいんだね」
「そうだよ。肉とミルクは一緒にダメだから、ステーキ食べてからデザートにアイスっていうのもダメだしね」
「うわ~、めんどくさ~」
「日本人からすると、なんでだろうっていうルールがいっぱいあるよね。カニとかエビもダメだし」
「カニ、エビもダメなんだ」
「そうだよ、甲殻類とか鱗のない魚はダメなの。そういう意味ではウナギとかもダメだよね。あと肉は蹄が割れてないとダメ。ママの友達のユダヤ系の人が日本に来ると、ごはんに行くの面倒なんだよね。お寿司食べたいって言っておきながら、これはダメあれはダメで」
「さすが、著名料理研究家の娘は詳しいね。でも、ユダヤ人って人生半分損してるよね。カニもエビもウナギもダメだなんて。やっぱ、日本人に生まれて良かった~」
ユダヤ教が砂漠という厳しい環境で生まれた宗教であると教わったことを、絵玲奈は思い出した。——きっと、そんなところのカニやエビは美味しくないんだろうな。第一、海とかないし。湖とかの淡水のエビやカニには寄生虫がいるから、気をつけないといけないって、昔おばあちゃんが言ってたな。きっとユダヤの戒律って、砂漠で生きていくために生まれてきたんだろうなぁ。それに比べて、日本は魚だって生で食べられるぐらい新鮮で、なんでも美味しくて本当に恵まれてるよなぁ。——
絵玲奈は、森の宗教と砂漠の宗教の違いが少しわかった気がした。
「あっ」
絵玲奈は声を上げて、壁にかかったメニューを指さした。
「シュリンプ・サラダって書いてあるよ。メニューに」
「そうなんだよね~。だから、最初に言ったようにピュアーなユダヤのベーグル屋じゃないよね。ていうか、ベーグルが市民権を得て、客層がユダヤ人以外に広がってるから、それに合わせていってるんじゃないかな」
なるほど、やっぱりここでも需要が供給を生んでいるわけか。
「今日、これからMoMAに行こうと思うんだけど、現代アートってユダヤ系がつくったって知ってた?」
「知らない。初耳。でも、とりあえずユダヤ人つながりで今日の朝ごはんは正解だったね。朝たたき起こされて不機嫌そうだったけど」
「うん、勉強になった。ところでMoMAはついてくるの?」
「うん、とりあえず行ってみようかな」
女子大生2人のMoMAツアー
53丁目の5アベニューと6アベニューの間にあるMoMAまで絵玲奈たちは歩いた。
MoMAは日本人建築家の谷口吉夫(たにぐちよしお)氏のデザインした建物だが、ビルとビルに囲まれているせいで、ストリートに面した玄関からは、美術館らしくない近代的なビルにしか見えない。MoMAの看板がなければ、見落として通り過ぎてしまうだろう。
しかしながら、玄関を入ってロビーを抜けるとピカソやロダンといった巨匠の彫刻作品も点在する中庭が広がる。周辺のビル群に囲まれた中で緑や花や水とアートがあるその空間は、まるで美しい大都会のオアシスのようだ。
「え~と、現代アートは4階か」
「現代アートから攻めるんだ」
沙織は笑いながら言った。
「とりあえず、課題を先に片付けちゃわないとね。見て来いって言われたリストがあるんだ」
絵玲奈はスマホでリストを取り出した。ジャクソン・ポロック、ロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズ、アンディ・ウォホール、ジェフ・クーンズ、ロイ・リキテンスタイン、フランク・ステラ、サイ・トゥオンブリー、ロバート・インディアナ、イブ・クライン……」
「なんか、いっぱいだね」
「そうだね、要は4階全部見ろってことなのかな~」
ひととおり、ぐるっと4階を絵玲奈は見て回ったが、フロアは広大で結構な時間がかかった。メモの名前と作品を一致させるのが精いっぱいで、どれがだれなのか頭が混乱するばかりだ。
「絵玲奈は、これ見て意味わかんの?」
サイ・トゥオンブリーの、一見、子どもの落書きのように見える抽象画を沙織は指差して言った。
「ぜんぜん……。え~と、サイ・トォーンブリは、後期抽象表現主義の作家。ジャクソン・ポロックに代表される抽象表現主義の第二世代。だって」
絵玲奈は教授にもらったメモを読み上げた。
「どういう意味?それ」
「アメリカが覇権国になって、アートの本場ヨーロッパに対抗して自分たちにもアートがあるってことを示すために、抽象表現主義っていうのが生まれたんだって。その1人ってことじゃないかな」
「ふ~ん、じゃあ、そのジャクソンなんとかっていうのはどれなの?」
「わかんないけど、そのうちあるんじゃない」
絵玲奈たちは、しばらく歩いてジャクソン・ポロックの抽象画を見つけた。
「なるほど、抽象画だね」
キャンバスに絵の具をぶち撒いてつくった絵を見て沙織は言った。
「え~と、ジャクソン・ポロックは、抽象表現主義の代表的な画家であり、彼の画法はアクション・ペインティングとも呼ばれている。だって」
こういうのが教授に教わった、フルシチョフが言った“ロバの尻尾”で書いた絵ってやつなんだろうな、と絵玲奈は思った。
「ところで、これって、いったい何を意味してるのかな?」
ジェフ・クーンズの2台の掃除機が縦に透明なケースに収まった不思議な作品を見て沙織は言った。
「なんだろうね~。メモで探してみる……」
「現代アートって、やっぱり、なんだかよくわからないや。もう、私飽きちゃったから5階に行こうよ」
沙織はどうやら現代アートについてこられなかったらしい。5階は、ピカソ、ダリ、モディリアーニ、モネ、マティス、ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャン、ルソー、シャガール、ジョアン・ミロなどだれでも名前ぐらいは聞いたことがある“近代アート”の巨匠が展示されている。
「ところでさぁ、近代アートと現代アートの違いってわかる?」
絵玲奈は、少し教授に教えてもらった知識を披露しようとして沙織に尋ねた。
「わかんない。時代の違いなの?」
「これが現代アートの始まりなんだって」
そう言って、スマホの画像を沙織に見せた。
「何これ?便器?」
そこには男子用小便器に架空のアーティストのサインが施された作品が写っていた。
「えーとね、マルセル・デュシャンって人の作品で『泉』っていうんだよ」
教授のメモを見ながら絵玲奈は言った。
「泉!なめてる(笑)」
「アーティストがアートだって宣言すれば便器だってアートになるっていうわけ」
「すごく挑戦的だね。しかも、タイトルが泉!」
「だよね~。これって、アートが美しいものっていう概念も変えちゃったんだ」
「そりゃそうだよね。なんたって便器だもんね(笑)」
「“レディメイド”作品っていうんだって。アートってアーティストの手で作ったものじゃなきゃダメなわけじゃない、ということになって、その作品がどういう意味を持つかということも重要だっていうふうに、新しい考え方が生まれてきたらしいよ。一種の革命だよね。ここから、それまでのアートの常識が変わって現代アートになるんだって」
「それで、さっきの掃除機がアートなんだね」
「うん。あ、メモ見つけたよ。掃除機の。え~と、掃除機は1950年代の華やかな消費社会の歴史の一部。生活を豊かにし、家事を楽にしました。当時、アメリカに出現した新しい中産階級と女性の獲得した地位の象徴を表す作品。だって」
「なるほどね。そういわれたら、なるほどと思うけど、言われないとぜんぜん意味不明だよね~」
「それでこういうのもアートになってるんだよ」
と言って、ガラスケースの中に牛の頭部が切断して置かれ、うじがたかっている写真や、ガラスケースの中にサメが閉じ込められている作品の写真を沙織に見せた。
「なにこれ~、グロい~。エグクない。これがアートなの?」
沙織は衝撃を受けた様子だった。
「ダミアン・ハーストっていう人の作品で、牛のほうは牛とうじと害虫駆除機を入れて、ハエが生まれて死ぬまでを作品にしたんだって。そんで、サメのほうはホルマリンでいっぱいにした水槽にホンモノのサメを丸ごと閉じ込めてあるんだって」
「まじで、意味不明……」
沙織はついていけないという表情をして絶句した。
「それまでのアートでは考えられないことだけど、“死”みたいなものもアートにしちゃったというわけなんだって」
「でもさぁ、こういうのって深い意味があって、本物のアーティストがアートだってやればいいけど、なんでもかんでもアートになっちゃわない?」
「そうなんだよね~。表現の方法が増えていろいろな可能性が増えたんだけど、う~ん、みたいなものも出てきちゃったらしいよ。例えば、テントの内側に自分と関係をもった100人以上の名前を書いた布を貼り付けた作品とか」
「え~、何?関係って?」
「も~、沙織、勘弁してよ」
帰国子女の沙織は、たまに日本語の曖昧な表現に弱い。
「マジで!そんなのっていいの?」
「マスコミは大騒ぎで、大問題になったらしいよ」
「そりゃ、そうでしょ」
「あと、象の糞を樹脂に混ぜて聖母マリアを描いた作品とか」
「過激!キリスト教の人とか、激オコになんなかったの」
「もちろん激おこぷんぷん丸だよ。展示したミュージアムがニューヨーク市長に訴訟を起こされる大変なさわぎになったらしいよ。でもね、それで逆にすごく有名になって作品の値段が跳ね上がったんだって」
「それって、炎上商法じゃん(笑)」
「たしかに(笑)。でも今話した牛とかテントとか象とかって、イギリスのサーチ・ギャラリーっていうところが仕掛けたんだけど、このサーチ・ギャラリーの創始者ってもともと広告業界の人なんだって。だから、流行に敏感でこういう仕掛けが上手だったらしいよ」
「なんか、パンク・ロックと似てるね。あれもファッション業界で流行に敏感な人がプロデュースしたんでしょ」
「そうだね。でも、パンク・ロックはアートかどうかよくわかんないけど」
「でもさぁ、そういうモラルに挑戦みたいなのって、アートだから許されるみたいなことになるのかなぁ。こないだ、ニュースで見たよ。ろくでなし子が問題になっているって」
「でも、逆に普通の人が言えない批判をしたり、表現をするのがアートだから、原則は規制しちゃダメだよね」
「それはそうだね。警察が決めるような話じゃないよね」
「そうはいっても現代アートは新しい表現で、ホンモノのアートとそうじゃないものの境界が普通の人にはよくわかんないよね。だから、批評家の役割って昔より大きくなっていったんだって」
「そりゃそうだよね~。解説してもらわないと、掃除機とか牛とかテントとかってよくわかんないし」
「だから、さっき言ってたアメリカの抽象表現主義っていうのもなんとかグリーンバーグって批評家が理屈をつけて権威づけたっていうことらしいよ」
「なるほどね~。それにしても絵玲奈、ずいぶん詳しいね」
「え~全部、教授に教えてもらったことだよ。ただの受け売り」
「それにしても絵玲奈、変わったね~」
「え、どこが?」
「だって、昔はこんな小難しいこと言わなかったよ(笑)」
5階の近代アートの巨匠たちの作品を見て回りながら、沙織は言った。
「あ~、5階もよくわかんないけど、4階よりはなんとなくわかる気がするかも」
沙織とアートはやっぱり、縁が遠いようだ。
MoMAは広い。6階すべてをゆっくりと見て回ると優に3時間以上かかるだろう。
絵玲奈たちは、MoMAに併設されたMoMAのショップに行って、お土産になりそうなものを探したが、予算に合うような適当なものが見つからず引き上げた。絵玲奈たちは円安の効果で日本人が貧乏になったのを実感した。
6アベニューのほうに歩いていくと、絵玲奈たちはすごく長い行列ができているのを見つけた。
「何かな?この行列」
行列の先頭に見つけたのはベンダー(屋台)だった。ニューヨークの街角にはホットドッグやプレッツェルなどを売るベンダーがいたるところにある。
「なんの屋台なのかな?」
「あ、これ有名なチキンオーバーライスだよ。こないだ日本のテレビも取材してたやつだ」
さすが沙織は詳しい。
「もう11時すぎだし、小腹、空かない?」
食いしん坊の沙織は言った。
「え~、これ並ぶの?」
MoMAで歩き疲れた絵玲奈は、長蛇の列にひるんだ。
「早い!安い!うまいの3拍子揃うベンダーはニューヨークのB級グルメとしては無視できないよ。シェイクシャックだって、もともとはベンダーから始めたんだよ。ここもそのうち店舗出す計画らしいし」
沙織は牛丼の吉野家の回し者のような宣伝文句を言った。どうやら沙織としては、ここのチキンオーバーライスは見逃せないものらしい。きっと、料理研究家のママに食レポしたいのだろう。
「並んでるから、早くはないと思うけど……」
沙織に押し切られ絵玲奈はしぶしぶ列の最後尾に並んだ。
「ところで、チキンオーバーライスって何?」
「ターメリックライスのうえに、レタスや玉ねぎなんかの野菜と、スパイスで味をつけて焼いたチキンかラム肉をどさっとのせ、チリソースとヨーグルトソースをかけた中東の料理だよ。チキンオーバーライスみたいなハラルフードのベンダーは街角に死ぬほどあるんだけど、ここのチキンオーバーライスはニューヨークで一番らしいよ」
「ハラルフードって何?」
「イスラム教の律法にのっとった食べ物のことだよ」
「わぁお、ユダヤ教の次はイスラム教?」
「あ、たしかに、そういえばそうだね。考えてなかったけど」
「イスラムの食べちゃいけないものって何なの?」
「まずは豚」
「豚ってさ、ダメな宗教多いね」
「きっと、衛生上の理由からなんじゃないかな?ほら、牛とか馬とかって生で食べたりするでしょ」
「牛のたたきとか、馬刺しって、ほんと美味しいよね~」
「あんた、ホントに見かけによらず、酒飲みおっさん女子だよね。でもさぁ、豚刺しって聞いたことないでしょ」
「たしかに」
「豚は細菌が繁殖しやすいんだよね。だから、中までよく焼かないとダメなんだよね。それに寄生虫もいるんだって。ほらこれ」
沙織はスマホで豚の寄生虫を検索して絵玲奈に見せた。
「うわ~、気持ちワルイ~」
「豚ってなんでもかんでも食べちゃうから、寄生虫とかに感染しちゃうんだろうね。日本は衛生管理がしっかりしてるからいいけど、海外では豚食べるのは注意しないとね」
「なるほどね。他は何がダメなの?」
「食べられる肉とかもちゃんと、お祈りして処理したものじゃないとダメだよ。あと、一番大事なのはお酒!」
「え~、お酒ダメなんだ~」
「お酒好きの絵玲奈にとっては地獄だね」
「間違いない!」
「お酒ってさぁ、そのものはもちろんダメなんだけど、みたいにアルコールが入ってる調味料もダメなんだよね」
「うわ~、じゃあ、普通の和食は全滅じゃない」
「そういうことになるよね」
「イスラム教もユダヤ教以上にいろいろあるねー。めんどくさ~い。お酒も飲めないなんて人生4分の3ぐらい損してる」
「絵玲奈はイスラムにはお嫁にいけないね」
「無理。絶対無理。お酒のない人生なんて信じられない!そういえば、キリスト教ってなんか食べ物のルールってあるの?」
同じ旧約聖書から始まった宗教だから、何かあってもよさそうなものだと絵玲奈は思った。
「う~ん、そういえば、あんまり聞かないね。キリスト教は特にないかもね」
「そうなんだ~。なんでだろ?」
絵玲奈は、ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒と一緒にごはんを食べに行く姿を想像してみた。
みんなが共通に食べられるのは、肉だと羊だから、ジンギスカン。あと鳥は大丈夫だから焼き鳥かなぁ。でも、お酒なしでジンギスカンとか焼き鳥って盛り上がんないなぁ。
それにしてもこんなにルールがいろいろあったら仲良くするのはムズカシイよなぁ。結局、仲良くなるのってみんなで同じものを食べて、お酒を飲んでみたいなコンパみたいなことやるのが一番手っ取り早いのに、それができないなんて。
絵玲奈は全員がそれぞれのお皿で、それぞれの物を食べている宴会の姿を想像して、頭を抱えた。
長蛇の列だったが、手際よく注文がさばかれてゆき、無駄話をしているうちに思ったよりもずいぶん早く絵玲奈たちの順番が回ってきた。ボリュームの大きさに圧倒されて、絵玲奈たちは1つをシェアすることにした。
「これで7ドルって安いね」
物価の高いニューヨークでベンダーは庶民の味方だ。オフィスに持って帰るビジネスマンがほとんどだが、ベンダーの目の前のビルの一角が腰をかけるのにちょうど良いベンチのようなスペースになっていて、多くの人がそこに腰かけてチキンオーバーライスを頬張っている。
「ちょっと寒いけど、私たちもここで食べちゃおうよ」
ニューヨークの11月はかなり寒いけれど、今日は日差しも出ている。絵玲奈たちは地元の人たちに混じってチキンオーバーライスを間に置いて座った。
「なんか、ニューヨーカーになった気分だね(笑)」
「何これ!美味しいね」
絵玲奈はチキンオーバーライスをひと口食べて言った。
「絵玲奈、こういうクセのあるものもイケるんだ」
「うん、たしかにスパイシーで、中東って感じでクセがあるけどとても美味しいよ」
ユダヤのベーグルも、イスラムのチキンオーバーライスも、絵玲奈は初めての経験だったけれど、どちらの美味しさにも衝撃を受けた。
「ねえ、沙織。ユダヤの人も、キリスト教の人も、イスラムの人もみんな仲良くできるようなごはんってつくれないのかな?」
「いきなりどうしたの?」
「いや、仲良くなるには同じ釜の飯をなんとかっていうじゃない。そういうのって、できないものかなぁと思って」
「何バカなこと言ってるの(笑)。そんなことできたらノーベル賞ものだよ。やっぱり絵玲奈は絵玲奈だね」
沙織はあきれかえって言った。