もう一つの側面、あらゆる人種の枢機顧問官から見えるもの

 リデル・ハートは軍事的な側面以外に、チンギス・ハンが組織の人材登用や能力の高い者を導入する方針に、優れた柔軟性を持っていたことを指摘しています。

「この帝国の驚くべき特色は、完全な宗教的寛容であった。チンギス・カンの枢機顧問官には、キリスト教徒や各種の異教徒、回教徒、及び仏教徒たちがいた」(書籍『世界史の名将たち』より)

 チンギス・ハンは、幼少期に父を亡くしています。有力部族だった自分の配下の遊牧民がほとんど離れ、落ちぶれたときは最も親しい親族からも見捨てられ、彼の成長を危険視する他部族に誘拐されたこともありました。

 その局面を打開するため、青年期の彼は父の古い同盟者だったトゥグリル・カンや幼なじみのジャムカの力を借りています。その後、チンギス(青年期はテムジン)のリーダーとして優れた資質に多くの人が集まり、一大勢力となっていきます。

 1206年に彼は全部族を集めて大ハンへの即位を宣言しますが、その過程で彼が何よりも熱望して完成させたいと思ったのは、「優れた者たちが離れず、忠誠を自ら誓う組織」だったのではないでしょうか。テムジンは、次第に多くの人望を集めてカリスマ的なリーダーとなり、盟友だったジャムカはテムジンのあまりの人望の高さに嫉妬して敵となり、やがて敗北します。

 彼の戦闘部隊には、四駿四狗の勇猛な武将たち、十功臣や八十八功臣などの功績を挙げて高い評価をチンギスから得た者たちがいました。文官の登用者で有名な者は、金王朝の矢律楚材などですが、シルクロードで東西の交易をしていた商人たちも、宗教そのほかに寛容なモンゴル軍を受け入れていたと言われています。

 チンギス・ハンの交易商人優遇策は、彼が帝国の版図を広げるとき、商人たちが貴重な情報網の役割を果たして、謀略や戦略を組み上げる基礎となりました。

 幼少期から青年期、父の早すぎる死去で人が自分から離れて惨めな想いをしたテムジン。それ故に「優れた者たちが離れず、忠誠を自ら誓う組織」への渇望は、誰よりも強かったのではないでしょうか。彼は「世界の支配者となる天啓を受けた」と言われていますが、世界帝国を創り上げる目標さえ、多くの者が自らの元を離れないための道具だった可能性があるのではないでしょうか。

才能ある者に魅力が溢れる職場で、世界を変革する仕事を目指す

 書籍『How Google Works』は、グーグルという世界的な最先端企業が、スマート・クリエイティブと呼ぶ多面的な才能を持つ人材を、いかに引き寄せて、活躍させることに心を砕いているかを描いていました。

 もちろん、ただ優秀な人材を採用し、繋ぎ止めるだけではダメで、才能ある者を飛び抜けて高い目標に挑戦させ続けることが必要です。

「私はいま、非常にシンプルな指標を使っています。それは『いま取り組んでいる仕事は、世界を変えるだろうか?』というものです」(書籍『シンギュラリティ大学が教える飛躍する方法』より、グーグルCEOのラリー・ペイジの言葉)

 アップルの創業者であるスティーブジョブズも、当時有名な清涼飲料水の企業の社長だったジョン・スカリーをスカウトするとき「このまま一生砂糖水を売り続けたいか?それとも世界を変えたいか?」という有名な質問をしています。

 チンギス・ハンは宗教や人種による偏見なく、優れた者や技術を「世界の支配者となるモンゴル軍」の勝利のために役立てる部族文化を創り上げたとも言えます。

 チンギス・ハンは1204年にウイグル文字と出会い、モンゴルに初めて文字を導入。大ハンに即位した時には、千戸制、ケシク制、オルド制、大ジャサ(法典)を定めています。彼は勇猛な戦士であるだけでなくモンゴルの結束を高めるさまざまな制度を創り上げたのです。

 モンゴル軍は徹底した実力主義であり、勇名を馳せたチュペやスブタイは、25歳にもならないうちに高級司令官の立場となりました。優れた者が功績を挙げれば誇りある地位を与え、才能ある者には全権を与えて存分に戦わせる。目標は「世界を支配する勝利」であり、そのためにはどんなところからも役立つことを吸収する。

「優れた者たちが離れず、忠誠を自ら誓う組織」文化の構築と、「最高峰の目標」そして「人を惹きつける老練なカリスマ」が組み合わされたとき、世界史の1ページを塗り替える最強の帝国が出現したのです。