世界トップ企業が導入する「最高の休息法」

「で、気づいたら、わしの研究室を訪ねていたというわけか」

ヨーダはくしゃくしゃの笑顔を私に向けた。悔しいけれどそのとおりだった。私が頼れそうな人は、もうイェールのこの研究室にしかいなかった。

思えばアメリカにやってきて以来、私を手放しで歓迎してくれた人がヨーダのほかにいただろうか。

「じゃが、ナツ。わしが何かの役に立てるとも思えんな……。このとおり、わしはニューヘイブンの片隅でマインドフルネスなぞという得体の知れんものに入れ込んどる老いぼれじゃ」

じつのところ、まさにそれこそが私がここにいる理由でもあった。最先端の脳科学を離れたヨーダが、マインドフルネス研究に没頭していることは、なんとなく知っていた。研究室で瞑想をしたりする彼の姿を見かけた記憶があったからだ。

しかし、だからこそ、私には我慢がならなかった。あの瞑想はいやでも父の坐禅姿を思い出させる。仏教の非科学的な世界から抜け出すために、脳科学を志してイェールまでやってきたのだ。どうしてここでもあの忌まわしい「修行」につきまとわれなくてはならないのか——それが以前の私の気持ちだった。

しかし万策が尽きたいま、もはやなりふりかまってなどいられない。それに、マインドフルネスはアメリカで一大ブームを引き起こしていた。病院、学校、そして多くの企業にも、これが積極的に取り入れられているというニュースは、いくら無関心を決め込んでいても耳に入ってくる。

グーグル、アップル、シスコ、フェイスブックなど、世界を代表する上位企業でも次々とマインドフルネスが導入されているし、一流の起業家・経営者たちがその実践者であることも知られている。あのスティーブ・ジョブズがメディテーション(瞑想)に傾倒していたことはあまりに有名だ。

セールスフォース・ドットコムのマーク・ベニオフ、リンクトインのジェフ・ウェイナー、ホールフーズのジョン・マッキー、ツイッターなどの創業者エヴァン・ウィリアムズ、大手医療保険会社エトナのCEOマーク・ベルトリーニなど、枚挙にはいとまがない。

全社でマインドフルネスを導入したエトナでは、社員のストレスが3分の1になり、仕事効率が向上した。すべてが直接的な原因ではないにしろ、導入後には従業員の医療費が大幅に減り、1人あたりの生産性が年間約3000ドルも高まったという[*]。

* Gelles, David. “At Aetna, a C.E.O.,s Management by Mantra.” The New York Times (2015).

「マインドフルネスなら、あの〈モーメント〉の覇気のないスタッフや伯父をなんとかできるかもしれない、そう思ったんです。……や、やっぱり無理でしょうか?」

ヨーダは例のモジャモジャ頭をかきむしりながら、黙ってうつむいた。やはり虫がよすぎるだろうか。なんせ、一方的にワガママを言って研究室を捨てておきながら、困ったからといって助けを求めているわけだ。私がヨーダの立場だったら、こんな人間には手を差し伸べようとは絶対思わない。

「……できるぞ」

ぼそりとヨーダが言った。「〈モーメント〉はきっとよくなる」
思わず彼のほうを見ると、あの冴えない風采の老人と同一人物だとは思えないほど、爛々と眼光が輝いている。

「むしろ、そんな疲れきった職場にこそ、マインドフルネスは効果を発揮するんじゃ。なぜなら、マインドフルネスは最高の休息法なんじゃからな!」

「え?じ、じゃあ、〈モーメント〉再建のアドバイスをいただけるんですね?」

私は声を上ずらせながら聞いた。

「うむ。ただし、1つだけ条件がある」

「条件……ですか?」

「簡単じゃ。ナツ、君自身もわしの教える休息法を実践すること。なぜかわかるか?いまのナツには絶対に休息が必要じゃ。君はもう何年も休んどらん人間の顔をしとる。せっかくの美人がもったいない。わしとの約束じゃ、いいな?」

私はこくりと頷いた。

「スーパー!!」

いつもの口癖と、握りつぶしたスポンジのようなくしゃくしゃのスマイル─。
こうして私たちの「最高の休息法レクチャー」がはじまった。