平成ゴジラシリーズがスタートした1984年は、日本経済が全盛期へと向かう時代ではあったが、その一方で、1978年にソ連(当時)がアフガニスタンに侵攻。それに抗議して西側諸国が1980年のモスクワ・オリンピックをボイコット。これに対抗して、今度は東側諸国が1984年のロサンゼルス・オリンピックをボイコット。東西関係はどんどん緊迫度を増していった時代だ。

 また、70年代後半から日米貿易摩擦も勃発。80年代に入ってからはカラーテレビなどの電化製品や自動車を巡って、激しい摩擦が生じていた。アメリカの労働者たちが日本の自動車輸出に抗議して、日本車をたたき壊すパフォーマンスの映像は何度もニュースで流された。アメリカの核の傘の下で経済成長を遂げてきた日本にとって、東西関係が悪化する中での日米関係の悪化という状況には、これまた大きな危機感を抱いていたはずだ。

 ミレニアムシリーズは1999年から始まるが、1997年には山一証券、三洋証券、北海道拓殖銀行など金融機関が次々と破綻。特に拓銀の破綻は、当時の日本人は銀行は絶対に潰れないと信じていただけに大きなショックを与えた。1999年からは、世界的ないわゆるITバブルが始まるが、ミレニアムゴジラが企画されていた当時は、日本経済崩壊の大きな危機感が日本中を覆っていた時期だ。

日本人にとっての怪獣とは?

 そして『シン・ゴジラ』である。多くの人が指摘しているように、これは東日本大震災と福島の原発事故がモチーフとなっている。この映画で描かれる、ゴジラが破壊した街並み(ガレキの山)や避難所の様子などは、まさに東北で僕が実際に見てきた光景そのものだったし、もっと言えば、熊本でつい最近、見てきたばかりの光景そのものだった。それだけにこれらのシーンは、僕にはかなり強烈なインパクトとリアリティを感じさせてくれた。この映画を3.11と関連づけて語る人も多いが、もっと熊本のことも考えるべきだと思う。もちろん『シン・ゴジラ』の制作時には熊本地震は起きていなかったが、公開直前にあの地震が起きたことも、このゴジラという映画が持つ宿命みたいなものを感じてしまう。

 日本の国難とともにあるという意味では、ゴジラはやはり日本人の映画だし、というか怪獣映画というものは、やはり日本のものなのだと思う。怪獣映画は日本独特のものだ。ハリウッドには怪獣映画の歴史はない。『ジュラシック・パーク』は恐竜映画だし、『キングコング』は怪物映画だ。韓国や北朝鮮も怪獣映画を作ったことはあるが単発的なもので、日本のようにゴジラ、ガメラ、モスラなどさまざまな怪獣を生み出したり、数多くのシリーズ作品を生み出したりはしていない。なぜ、日本人はこれほどまでに、多くの怪獣映画を作り続けるのかーー。それは、日本人にとっての怪獣とは「荒ぶる神」であり、怪獣映画とは「日本の神話」なのだ。

 もちろん、「荒ぶる神」そのものは日本独自のものではない。同様の神は世界中の神話に登場する。しかし、神話の中に怪獣が登場するのは日本だけではないか。たとえば旧約聖書には巨人ゴリアテが登場するが、これは身長約3メートルの巨人で、とても怪獣とは言えない。ギリシャ神話にも、たとえばメドゥーサのような怪物が登場するが、これも怪獣ではない。しかし、日本の神話に登場するヤマタノオロチは怪獣だ。その全長は、八つの山と八つの谷を越えるとされる、巨大な怪獣なのである。要するに、ゴジラとは現代のヤマタノオロチなのだ。