
谷口源太郎
最終回
エージェント本来の役割は、選手が力を発揮できるようサポートすること。だが日本では、芸能プロなど新興エージェントの参入で、芸能タレント同様、選手を商品としてテレビや広告へ売り込むことに躍起になっている。

第18回
日本優勝で「2大会連続世界一!」と大騒ぎだが、WBCは「世界一決定戦」とはほど遠い。そもそもこの大会設立の狙いは“大リーグ市場の世界拡大”にあり、ジャパンマネーの吸い上げを含め、MLBを利するだけである。

第17回
「日本卒業」と題し、米国で水泳中心ではない生活を送ることを表明した北島選手。新たな自分へと脱皮するために日本を飛び出すしかないと考えたのだろう。北島選手が卒業するのはどんな日本なのだろうか?

第16回
いまや世間も関心が薄い、国民体育大会(国体)。その国体に対し「税金の無駄遣いであり、廃止すべきだ」との厳しい批判が今年の開催地・新潟県から上がった。そのきっかけは泉田新潟県知事の議会発言だという。

第15回
五輪招致を目指し、都知事率いる招致委員会は12日、立候補ファイルをIOCに提出。そこには「政府による財政保証」まで盛り込まれているという。国会決議なき政府保証も含め、招致活動は民意を蔑ろにしている。

第14回
今年の大相撲初場所は、異常な人気で両国国技館は沸きに沸いた。そればかりか、テレビ中継でも異常に高い視聴率を記録した。一体、何が起こったのか――。月並みな言い方をすれば、人気沸騰の最大要因は、3場所連続休場した横綱・朝青龍が予想を覆して優勝し、見事な復活劇を見せつけたこと、とでもいえようか。 しかし、優勝直後のガッツポーズで、またもや「品格がない」と朝青龍が非難されている。だが、「品格」という自閉的な伝統に固執し、ガッツポーズを否定してしまう人たちこそ、「品格症候群」としかいいようがない。

第13回
JOC(日本オリンピック委員会)の財源の柱であるスポンサー契約においてすでに4社が打ち切りを発表。28社中の4社だから深刻な事態。各種競技団体への強化費援助の責任を負うJOCとしては重大問題である。

第12回
2008年の後半に種々の競技で企業スポーツの休・廃部が相次ぎ発表され、社会的な反響を呼んだ。休・廃部によって影響の大きいのは、チームゲームの球技だ。切られて行き場を失う部員が数多く出てくる。そればかりでなく、チーム数の減少によって国内のリーグ戦にも影響を及ぼす。さらにいえば、企業スポーツは、戦後日本のエリートスポーツを支えてきた柱であり、それが揺らぐことでエリートスポーツ全体も弱体化せざるを得なくなる。企業スポーツに依存するだけで無為無策のまま過ごしてきた競技団体は、今や深刻な事態に直面しているといえよう。

第11回
室伏選手の銅メダル繰上げ決定で、再び注目を集めたドーピング問題。検査技術と薬物開発が“いたちごっこ”の状態で、ついには「チェックが不可能」といわれる「遺伝子ドーピング」がリアリティを増してきている。

第10回
監督とコーチ陣も決まり、これから本格的なチームづくりに入れると思った矢先、今度は選手選考で再び騒動が起きている。こんな事態に陥っているのは、そもそもWBCが本質的な「矛盾」を抱えているからである。

第9回
田沢問題を受け、球界側は選手の海外流出防止策として「ドラフト規制」を固めた。だが「選手はなぜ大リーグを目指すのか」を究明することなく、規制で抑止するという発想は百害有って一利無し、というべきだろう。

第8回
セ・パ両リーグともに現在「クライマックスシリーズ」の真っ最中。ただ、1リーグ6チームしかない日本のプロ野球において、プレーオフ制に意味はあるのだろうか。むしろペナントレースの価値が損なわれてしまっている。

第7回
日本体育協会の現在の会長は森元首相。日本クレー射撃協会は麻生首相、日本ソフトボール協会は山崎拓氏・・・といったように、各種競技団体の会長職に多くの政治家が名を連ねている。

第6回
今回のドタバタ劇の演出者は読売新聞グループ会長の渡辺恒雄氏。そして主役は星野氏。渡辺氏には「自分の描いたシナリオ通りに押し通して当然だ」という居直りがある。それはなぜか――。

第5回
北京五輪の期間中、競技場外で“別の競争”が繰り広げられていた。IOCの1次選考で残されたシカゴ、東京、マドリード、リオデジャネイロの4都市にとって、北京は2016年五輪招致を競う重要な舞台であった。

第4回
選手団の中で存在感の大きい星野仙一氏。彼はテレビ出演の度に「日の丸」を強調する姿が目立つ。私は、彼の持つ「偏狭なナショナリズム」が野球ばかりでなく他競技の選手にも影響を与えることを危惧している。

第3回
娯楽路線の徹底化により、公共的使命を背負うジャーナルズムは喪失状態。スポーツ報道も例外ではなく、お笑いや歌手タレントなどを起用したバラエティーショー化による“娯楽番組”に作り上げられている。

第2回
オリンピック憲章の理念が誠実に守られていたならば、少なくともオリンピックが政治紛争の舞台になることは避けられただろう。しかし現実には、国家間のメダル獲得競争の舞台となり、現在に到っている。

第1回
IOC(国際オリンピック委員会)は、徹底した商業主義により、興行的価値を高めるためにオリンピックをショーアップし、選手をその材料に使っている。特に商業主義の象徴的な存在が「テレビ放送権料」の高騰である。
