96歳まで生きたカゴメ創業者はトマトで日本人の健康に貢献したイラスト/びごーじょうじ

 問題。昔、唐なすびや唐ガキ、赤ナスと呼ばれていた野菜は? 答え=トマト。

 トマトは江戸時代に観賞用として珍重され、明治時代以後、日本に広まった。そこに大きく貢献したのが蟹江一太郎、トマトケチャップなどで知られる企業、カゴメの創業者である。

 愛知県の農家の生まれだった蟹江は1899(明治32)年の春、自宅の脇で西洋野菜の種をまき、栽培を始める。やがて、収穫した野菜をホテルや西洋料理店などに卸すようになるが、トマトだけは匂いや味が敬遠され、売れずに残ってしまった。

 腐らせるわけにもいかない、と蟹江は残ったトマトの加工に乗り出す。試行錯誤を経て、1903年にトマトソース(現在のトマトピューレー)を完成させ、その5年後にはトマトケチャップ、ウスターソースの製造も開始する。

 国産トマトケチャップの起源は横浜で1903年に清水與助(よすけ)が製造した清水屋トマトケチャップとされる。しかし、この元祖ケチャップはすぐに姿を消してしまった。横浜は工業化が進み、野菜畑が減少。原料の確保が難しくなったためだ。

 一方の蟹江には先見性があった。原料のトマトを安定して入手するために、農家と今でいう契約栽培をはじめた。この“畑から考えていく”という考えは、現在でもカゴメの企業姿勢の一つになっており、同社は現在、日本におけるトマトケチャップ、トマトジュースなどのシェアナンバーワン。緑黄色野菜の国内消費量の約1割を供給し、トマトに至っては国内消費量の約3割を担っている、というから驚きだ。