森 健二
ベータマックスで直面した3つの選択肢
ビジネスの歴史に残る「ベータvs. VHS」。その経緯はさまざまに報道されてきたが、つまるところ、技術で先行していたソニーはなぜ、規格統一争いに敗れたのか。この時期、盛田昭夫は大きな岐路に立っていた。今回より複数回に分けて、その内幕に迫っていく。本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」、通算第35回(今冬に単行本化を予定)。

「タイムシフト」を編み出した“コンセプト・メーカー”
新しいものには新しい売り方が必要である。盛田昭夫のマーケティングセンスは、その営業手腕のみならず、新しいコンセプトそのものを創造するところにあった。本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」、通算第34回(2014年秋に単行本化を予定)。

「ベータマックス」前夜の“カンブリア爆発”
人は新しいものの価値をすぐにはわからない。しかし、ポストカラーテレビの大本命、ビデオの時代が着々と近づいてきていた。その波に間に合わせるためには、自社展開だけでは限界がある。そこで迫られた経営判断とは? 本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」、通算第33回(2014年秋に単行本化を予定)。

ソニーのDNAを「ON」にする
人が怠惰に流れやすいように、会社もわずかな油断から病が忍び寄る。そのことを熟知している盛田昭夫は矢継ぎ早に内部を改革し、また新入社員を歓迎するたびに「強烈な洗礼」でもって一人ひとりに自覚を促し続けた。本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」、通算第32回(2014年秋に単行本化を予定)。

日本、および日本人に欠けているもの
これまでのやり方は通用しない、と盛田昭夫がはっきりと察知したのは1971年のこと。この時期、ソニーの業績は絶好調だったが、盛田は世界の変化と、内なる硬直化の問題を察知していた。そしてそれは、日本、および日本人に通底する問題だった。本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」、通算第31回(2014年秋に単行本化を予定)。

アメリカ流マネジメントを学び超える
CBS・ソニーレコード設立の際の、タフでスピーディな交渉の腕を買い、盛田昭夫はハーベイ・L・シャインをソニー・アメリカの社長に引き抜く。そこから本格的なアメリカ流経営が始まる。本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」、通算第30回(2014年秋に単行本化を予定)。

「グローバル化2.0」への跳躍
盛田昭夫は、世界を意識した時から、地域のみならず業容についても領域を超える存在を目指していた。まさしくソニーは、「ボーングローバル企業」を先取りしていた。そこには、どのような戦いがあったのか。本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」、通算第29回(2014年秋に単行本化を予定)。

怒涛の上場――名実ともにグローバル企業へ
巨人IBMへの技術輸出――戦後日本企業にとってのエポック・メイキングな出来事は、実は盛田昭夫のCFO的視点の産物でもあった。本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」、通算第28回(2014年秋に単行本化を予定)。

「スーパーCFO」盛田昭夫の誕生
松下電器産業がニューヨーク証券取引所 への上場準備を始めているらしい――その情報をいち早くキャッチした盛田昭夫は、畳み掛けるように矢継ぎ早に行動した。背後にあるのは、「世界に通用する会社を日本で最初につくる」という自負だった。本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」、通算第27回。
ソニーの世界を“見える化”する
新製品がリリースされるたびに行列のできる銀座アップルストア。ブランドをリアルに体現する場であり、最高の顧客体験を提供する場として機能している。しかしそれは、1960年代に盛田昭夫がソニービルで目指したものだった。本誌2012年11月号開始の人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」、通算第16回よりDHBR.netで公開中(2014年秋に単行本化を予定)。

人とカネは無限にあると考えよ!
トリニトロン技術の目処が立った井深大は、世の大プロジェクトがなぜ成功を収めるのか、方法論を残そうとした。それが「説得工学」である。さらには、あらゆる制約条件や言い訳を排除する基本姿勢を明確にした。本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」。通算第16回よりDHBR.netで公開中(約半年間のウェブ連載の後、2014年秋に単行本化を予定)。
ソニー”イノベーション”の山場、トリニトロン
トリニトロン・プロジェクトは井深大の仕事の集大成であり、ソニーのイノベーションの山場でもあった。「見極めて踏み切る」井深流の決断とショック療法とは。本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」。通算第16回よりDHBR.netで公開中(約半年間のウェブ連載の後、2014年秋に単行本化を予定)。

打ち切り期限残り1週間の“起死回生”
クロマトロンと心中か――いよいよ追い詰められた井深大と開発部隊。しかし、試行錯誤の果てに、打ち切り一週間前にして希望の光が指す。それがトリニトロンの誕生だった。本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」。通算第16回よりDHBR.netで公開中(約半年間のウェブ連載の後、2014年秋に単行本化を予定)。

“社運をかけた勝負”で窮状に直面
ケネディ・ショックは日本にも影を落とし、ソニーの業績も厳しい状況を迎えていた。満を持して社運を賭けた「クロマトロン」も、なかなか軌道に乗らない。この窮状をいかにして乗りえたか。本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」。通算第16回よりDHBR.netで公開中(約半年間のウェブ連載の後、2014年秋に単行本化を予定)。

アイデンティティを世に知らしめる
盛田昭夫の持論「セールスは教育」を、広告でどう表現すれば効果的か。新天地でブランドを世界に売り込む一方、その表裏一体ともいうべき、盛田が激怒する事件が起きた。「ソニー・チョコレート事件」である。本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」。通算第16回よりDHBR.netで公開中(約半年間のウェブ連載の後、2014年秋に単行本化を予定)。

いかに国際人脈をつくり、「世界のモリタ」になったか
新たな市場に率先して家族丸ごと飛び込み、個人的な信用を積み重ね、インフォーマルな人脈のネットワークを構築していく――。世界のモリタに至る道筋は、新興国市場進出に迫られる現代の日本企業にとっても示唆深い。本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」。通算第16回よりDHBR.netで公開中(約半年間のウェブ連載の後、2014年秋に単行本化を予定)。

アメリカ人の心に、ブランドを築く
ニューヨーク五番街、超一等地にショールームを開設。それは単なる顧客接点ではなく、メディアとしての機能があった。のみならず、盛田はトップ自ら家族と共に生活の本拠地を移す――。本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」。通算第16回よりDHBR.netで公開中(約半年間のウェブ連載の後、2014年秋に単行本化を予定)。

世界を舞台に「インダストリー化」を行う
ソニー創設以来15年間余の蓄積を経て、盛田昭夫の経営者としての成長と、会社の技術力や企業力が、大きな勝負を賭けられるほどの段階に達してきた。ここから、世界展開がいかに加速していったのか――。本誌2012年11月号に開始した骨太の連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」。通算第16回から最終回までをDHBR.net上で公開中(約半年間のウェブ連載の後、2014年秋に単行本化を予定)。

敢えてハイリスクの二兎も三兎も追う
トランジスタ・ラジオからテレビへ、いよいよ海外比率を高めていったソニー。そのチャレンジは、盛田昭夫の”名コピー”に匹敵するものだった――。本誌2012年11月号から15回にわたって開始した骨太の連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」。第16回から最終回まで、DHBR.net上で公開中(約半年間のウェブ連載の後、2014年秋に単行本化を予定)。

【連載】盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか
DHBR.net会員に登録いただいた方に限り、『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2012年11月号~2014年1月号に掲載された本連載第1回~第15回分を立ち読みできます。2014年1月7日~2014年2月6日までの、期間限定です。