「お父さんがお父さんの国」の
オーストラリア

 そんな師匠の言いつけを守り、オーストラリアでは、ほぼ10ヵ月、パースという町に住みました。

 住んだからこそわかったのは、オーストラリアでは「お父さんがお父さん」だということ。
 どういう意味かというと、かの地でお父さんと言えば、家の修繕が出きて当たり前。中にはビジネスマンであっても週末大工で1年がかりで家を建てる人もいました。
 郊外のホームセンターには、家を建てられるすべての材料を売っていたので、そういった人がとても多いのだと実感しました。

 そして、お父さんと言えば車が直せる。
 とにかく広いオーストラリアでは、町と町の間の距離が長い。そこで、車のトラブルがあって自分で直せないとまさに命に関わります。

 JAFのようなものも、オーストラリアにもあるので、今はそれほどでもありませんが、それでもタイヤ交換、オイル交換、キャブレーターの交換などは個人でやっていて、ネットオークションがない時代でも雑誌、新聞にバイクや車の部品を個人で売買するのが当たり前でした(国の制度で車検がないというのもあるかと思いますが)。

お父さんが家庭菜園も
できて当たり前

 また、ガーデニングが趣味と言うと笑われるぐらい庭の手入れ、そして家庭菜園はお父さんができて当たり前でした。

 その姿を目の当たりにして、自分を含め日本人の男は何と脆弱なのだろうと思いました。
 日本で「あの人、生活力あるね」というと、「経済力がある」と同意語なのですが、本当の意味での生活力とはまさに生きていく力だと実感しました。

 私が農家になったのは、農業をサービス業の視点で見ると、ビジネスチャンスを感じたからというのが直接のきっかけですが、今思うと、当時の(今も)日本に漠然とした不安があったからというのがベースにあります。

 便利であらゆるものがあふれている日本。
 具体的な不満、不安があるわけではないけれど、地に足がついていないようで落ち着かない。
 そんな思いが、私を農業へかりたてたのかもしれません。