放射能の恐怖を肌感覚で知っている
日本人は世界ではマイノリティ

 これは、3.11を経験していないと理解できない部分だ。これ以降、劇中ではいかに放射線の被害を拡げずにゴジラに対峙するかが課題となるが、その重要性と焦燥感はたぶん、放射線被害の恐怖を血と肉でわかっている人にしか理解できないだろう。そして原発事故前の日本人がそうだったように、○○シーベルトといわれても、それがどの程度恐ろしい数値なのか、映画を観ているマレーシア人にはピンとこない。そのシーンあたりで、やはり携帯を見だすマレーシア人観客がちらほら見られた。

 皮肉なことに、劇中でも同じことが起こる。映画では、武器が全く効かなかったゴジラに対して核攻撃を行うことを、米国主導で国連が決定する。日本の文化、経済、社会の中心である東京が火の海になるだけなく、今後人が住めなくなる土地と化す決定を、当事国以外が行ったのだ。かつて核攻撃を受け、数年前に再び原発事故による放射能の恐怖を味わった国に対して、そんな恐怖を理解できない国々の人々が、再び同じ恐怖を与える決定をする。筆者自身もこのシーンでは鳥肌がたった。

 この決定がなされたという報告を聞いて、嶋田久作扮する外務省官僚が、悔しさのあまりむせび泣くシーンがあった。もともと個性的な風貌の嶋田久作が、顔を歪ませた泣き顔になったとき、筆者の前後にいたマレーシア人観客からは、笑いが漏れた。

 筆者が「奇妙な感覚」の正体を知ったのはそのときだった。そのシーンでは、原爆を落とされた後の広島のモノクロ風景写真が、2枚写される。1枚はボロボロになった原爆ドーム、そしてもう1枚は原爆で破壊された神社の鳥居だ。この破壊された鳥居の写真だけで、核の持つ恐ろしさ、そして日本の精神性に対する冒涜行為だったことが描かれる。だが残念ながら、それも他宗教の人々の心には響かないのだ。

 笑いを耳にしたとき、核の恐怖を本当に知っているのは、多くの日本人と、そして原発事故などに関わったことのある世界のほんの一部の人だけなのだという、考えてみればごく当たり前の現実を、突き付けられたように感じた。

 顔を歪ませて泣く外務官僚に感情移入できるのは、その限られた人だけであって、それ以外の鑑賞者にとって(いくら彼らが核の恐ろしさを「知識として」わかっていても)、あのドラマのリアリティは薄いのだ。

 さらに、ラストで、それまで一貫して仏頂面だった市川実日子扮する環境省職員の尾頭ヒロミが、ゴジラが出した放射性物質の半減期が20日程度とわかり、唯一微笑むシーンがある。この「半減期が20日」という記述も、何の説明もないため、多くのマレーシア人には、彼女の笑顔の重みは理解できなかっただろう。