核戦争、人口爆発、異常気象、AIの爆発的進化、テロリズムの跋扈……人類の未来を待っているのは繁栄か、滅亡か。スティーブン・ピンカー(『暴力の人類史』)、マルコム・グラッドウェル(『ティッピング・ポイント』)、マット・リドレー(『繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史』)ら知の巨人たちが21世紀の未来の姿を描き出します。11/25刊行の新刊『人類は絶滅を逃れられるのか――知の最前線が解き明かす「明日の世界」』からそのエッセンスを紹介します。第3回はマルコム・グラッドウェルが21世紀における世界的リスクについて語ります。
人類は協働によって進歩し続ける?
――あなたは、新しいテクノロジーやグローバルなトレンドをもてはやす現代の文化的風潮に異議を唱えていたと思います。
マルコム・グラッドウェル ええ。テクノロジーなど個々の領域における進歩と、人類全体の進歩は、分けて考える必要があると思います。そうでしょう?おそらく肯定派は、これまでの進歩の具体例と、それが今後も続くと思われる領域を示すでしょう。私はそれをすべて認めるつもりです。その指摘はまったく正しい。私だって今後よくなると思うことをリストアップできます。でもそれは5年後、10年後、あるいは25年後の人類が今より進歩しているかという問いには、まったく答えていません。
個人的には、「ある問題を解決する進歩は、新たな問題を生み出すのか。それはどんな問題か。その新しい問題は、解決された問題よりも大きいのか、同じくらいなのか、小さいのか」といった問いのほうが興味がありますね。
――核兵器がいい例ですね。原子力は重要なエネルギー源ではあるけれど、究極的には街を吹き飛ばすことだってできる。
グラッドウェル そのとおり。
――人類はナノテクノロジーを発明しましたが、それを武器に応用すれば人類を破滅させることもできる。あなたが懸念しているのは、多くのテクノロジーには、こうした2通りの使い方があることですか。
グラッドウェル テクノロジーをはじめさまざまな領域が進歩すると、そのマイナスの側面と破壊的な性質も飛躍的に進歩する。だからある領域で大きな飛躍があるたびに、たとえばですが、人類が自らを破滅させる能力も飛躍的に高まるのです。
――モラル面での人類の進歩についてはどうお考えですか。人類は周囲の世界を改善するだけでなく、人間性という内面も改善させてきたという主張があります。スティーブン・ピンカーはその代表格です。
グラッドウェル ピンカーが著書『暴力の人類史』(邦訳・青土社)で言っていることは、ありきたりで、しかもまったく的外れです。私たちは「処女を火山に投げ込み、キャベツを盗んだ人の手を切り落としていた」時代よりも、人間として進歩したか。当然でしょう。それを否定する人なんていません。
私にとっては、あまりにも当たり前で、ほとんど陳腐な主張に思えました。それに彼の主張は、ごくひと握りのとてつもない極悪人が、私たちの暮らしに重大な変化をもたらす可能性を考慮していません。つまり人類の99.9%の暮らしは昔よりよくなったかもしれませんが、残りの0.1%によって、恐ろしく惨めな状況に突き落とされる可能性があるのです。
ソ連では、スターリンのせいで2000万人が命を落としました。スターリン以外の全員が天使だったとしても、たった一人の独裁者によって、無数の人がぞっとするような運命をたどった事実は変わりません。究極的にはピンカーの主張では、こうした世界をうまく説明できないと思います。
――私たちはキリスト教の起源から現代まで、進歩にとりつかれてきたようです。今は人工知能に夢中です。人間は進歩によって、自分の能力に対する不満を補っているのでしょうか。
グラッドウェル そのような説明は非常に有用で、事実ならとても有益です。例を挙げましょう。私は走るのが趣味ですが、ランナーは自分たちが進歩していると思いたがるものです。毎年のように世界新記録が出るでしょう?そうするとランナーのコミュニティは、毎年少しずつ進歩している、自分たちは先人たちよりもよくやっているという錯覚に陥るのです。
たしかに100メートル走で9.51秒ではなく9.50秒という記録が出れば、観客は興奮し、ランナーは満足かもしれません。しかしそれは人類にとって重要な、意味ある事実を何ら変えるものではありません。誰かがシューズのスパイクを微調整したとか、トラックの表面が少し違うだけかもしれません。人間の本性に何ら有意義な違いをもたらすわけではないのに、私たちは「進歩」と聞くと、やみくもに崇拝するところがあると思います。