「役に立たない学問」を安易に切り捨てていいのか?

岸見 岡本先生がおっしゃるように、哲学の研究者も大事な存在だと思います。そういう意味では、大学では研究者を育てるための、きちんとした授業がもっとあっていいのでは、とは感じますね。最近は、文系学部はどんどん削られてしまう傾向にありますから。

岡本 本当にそうですね。英文学科も、いまや英語学科に取って代わられる時代ですから。

哲学ブームは『嫌われる勇気』から始まっていた?岸見一郎(きしみ・いちろう)
哲学者。1956年京都生まれ、京都在住。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。世界各国でベストセラーとなり、アドラー心理学の新しい古典となった前作『嫌われる勇気』執筆後は、アドラーが生前そうであったように、世界をより善いところとするため、国内外で多くの“青年”に対して精力的に講演・カウンセリング活動を行う。訳書にアドラーの『人生の意味の心理学』『個人心理学講義』、著書に『アドラー心理学入門』など。『幸せになる勇気』では原案を担当

岸見 過去に悔しい思いをしたことがあって、大学でギリシア語を教えていたときのことですが、ある年、突然「来年からは来なくていい」と言われました。古代ギリシア語を学ぶ学生が少ないという事情はわかります。多いときで5人、少ないときは2人でしたから。でも、それを理由にやめてしまって本当にいいのか、という思いはありますね。
 英文学科でも同じで、シェークスピアを読んだからと言って、社会に出て役に立つのかと言えば、おそらく役には立たない。でも、社会に出て役に立つ、立たないという安易な考えだけで判断していいのか。それはむしろ、大学が自分の首を絞めることになるのではないかと思うのです。

岡本 この傾向は日本だけのものではなく、世界的にそうですよね。ヨーロッパでも、ヘーゲル、ハイデガー、フッサールなどドイツの伝統的な哲学を扱うポストはどんどん削られていって、ロジカル・シンキングやクリティカル・シンキングといった、何か「役にたちそう」というものばかりが残る傾向があります。

岸見 私の母は49歳のとき脳梗塞で亡くなったのですが、当時私は大学院生で、看病できるのは私しかいなかったのです。その頃、私は大学の講義とは別に、先生が自宅でやっているギリシア語の読書会にも参加していたんです。でも事情が事情ですから、「母の看病をしなければならないのでしばらく参加できません」と電話で連絡をしたら、「こんなときに役に立つのが哲学だ」と先生はおっしゃったのです。その言葉は私にとってすごく新鮮で、衝撃的でしたし、実際役にも立ちました。

岡本 それはとても象徴的な話ですね。現代でも、脳死や臓器移植の問題であったり、出産前に新生児に障害がないかを確認する検査など、さまざまな場面において、哲学的に考えるべきテーマがありますからね。