つまり、ベビーカー利用者に対する配慮、お寺の親切心が、権利乱用する人たちによって踏みにじられ、結果として自粛要請になったというわけだ。これはもちろんマナーの問題でもある。しかし、マナーを守れというだけでは解決できないから問題になったのだし、マナーを守るべしという主張だけで終わらせるのは思考停止だ。そもそも、マナーを守らない人たちに対して、マナーを守れと言っても、もともとそのような(マナーを守るという)価値観を持っていないので、言うだけムダである。

 申し訳ないが、ベビーカー用のいわば「無料のファストトラック」を作ったことは、お寺の善意であったとはいえ、僕は間違いだったと思う。もちろんお寺は、赤ちゃんの安全やベビーカーの利便性を考慮して作っていたのだと思うが、そのような専用レーンを作るのではなく、普通に並んでお詣りさせればよいことだと思う。そして、混雑したところにベビーカーが来ても、周囲の大人は迷惑だと言わず、配慮すべきなのだ。

 ベビーカーを迷惑だと感じるかどうかは、それこそ個人の自由だと思うかもしれないが、そうではない。マイナビ・ニュースの調査によれば、「混雑するお寺や神社の境内でベビーカーを使うことは非常識だと思いますか」という質問に対して、「はい」と答えた人は41.4%。「いいえ」が58.6%だ。「いいえ」が少し多いが、ほぼ二分していると言える。マナーとか迷惑とかの問題は感情論なので、どちらかの意見が圧倒的多数であればその答えが規範となるべきだろうが、この調査のように意見が二分している場合は、他の評価基準が必要になる。それは「社会正義」だ。

ベビーカー問題を、社会正義で考える

 社会正義は感情ではなく、理屈だ。ある「社会課題の解決」のためにどのような考え方を社会的に支持すべきか――それが社会正義で、少子化が日本の大きな社会課題であるならば、ベビーカーが迷惑か迷惑でないかと考えることのどちらがこの社会課題の解決につながるか、というロジックで決めればよい。世の中には人口抑制が重要な社会課題である途上国も数多いが、それらの国と日本とでは大いに事情が違うことは、すでに国民的なコンセンサスになっているはず。つまりいまの日本においては、ベビーカーが迷惑だと考えないことのほうが、社会正義になる。

「日本はもっと人口を減らすべきだ」と主張するなら、ベビーカーが迷惑だと主張するのも筋が通るが、そうでなければ議論自体が間違っている。つまり、ベビーカー論争が起きること自体がナンセンスなのだ。仮に、女性の活躍推進が叫ばれるいまの日本で、「女性には参政権が本当に必要なのか」という議論が起きるくらいに、論争自体がおかしな話なのである。

 ネットでは、差別やマナーの問題について頻繁に炎上事件が起きるし、論争も起きる。しかし、その論争も多くは感情論や自分の価値観の主張にすぎず、社会正義の観点からロジカルに論議する姿勢に欠けている傾向があると思う。ここで言う「ロジカル」とは、「自分自身の好き嫌いとは関係なく考える」という意味だ。ビジネスの会議の場でもよく感じるが、日本人は本当に個人の好き嫌いと議論を分けて考えることが苦手だと思う。しかし、このような論理的な議論ができない風土や文化が、少子化問題だけでなく、長時間労働の問題も引き起こしている。過労問題の本質は、多くの場合はパワハラ、モラハラだ。パワハラとは、非論理的、非合理的で感情的な価値観が引き起こす問題だからだが、ここでは閑話休題。

 とにかく、子育て中のお母さんたちには(もちろん、お父さんたちも!)、遠慮せず、満員電車だろうが初詣だろうが、ぜひベビーカーで出かけてほしい。誤解を恐れずに言えば、女性はもっとワガママになればいいと思う。それを男たちがどこまで許容できるかが、実は女性活躍推進の肝なのだが、少子化対策の要点でもあると思う。子どもたちの嬌声がうるさいなどと言った声も無視してよしである。自由に子どもを産み育てることができる社会にしか、未来はないのだから。