なぜ糸魚川大火の被害はここまで拡大したのか火元の中華料理店の周辺、外壁は焼け残っている。(画像提供:室﨑益輝教授)

昨年末に、糸魚川駅の北側の木造が密集する商店街の一角で発生した火災は、折からの強風に煽られて約4万平方メートルを灰燼(かいじん)に帰し、約30時間後に鎮火した。この大火では、144棟が焼失し、16名が負傷し、約120世帯が家を失っている。この大火から学ぶべきことが多いと考えられるので、なぜ大火が起きたのかの原因究明を中心に、わが国の防災上の課題を探ってみたい。 (「リスク対策.com」の「糸魚川大火の検証(前編)」[2017年1月12日]、「同(後編)」[1月18日]掲載の記事を再掲したものです)

糸魚川大火、100棟以上消失した
火災が19世紀以降、10回も発生!

 この大火が注目されるのは、強風による大火はもはや起きないという思い込みを、根底から覆すものだったからである。そこでまず、日本の大火の歴史の中でいかなる位置にあるかを概観しておく。

 大火の規模で見ると、40年前の酒田大火以降で、強風大火としては最大のものである。木造を主体として構成されるわが国の市街地は、大昔から大火の洗礼を幾度となく受けてきた。例えば、江戸時代の東京は300年間で100回の市街地大火を経験している。現代になっても、毎年のように大火は繰返された。戦後の1965年までの20年間を見ると、飯田の大火や鳥取の大火など「500棟以上を焼失する火災」は、37回も発生している。