約120年前の新潟は
東京・大阪よりも人口が多かった
1871年すなわち明治4年、全国に261あった藩が廃止し、府県が置かれた。封建制度が廃止し、中央集権体制の確立が推し進められる。当初3府302県あったものが再編・統合され、現在の47都道府県の骨格ができたのが明治21年(1888年)だ。
なぜ受験生よろしく日本史のおさらいをしてみたかというと、この明治21年に全国でいちばん人口が多かったのが、今回の舞台である新潟県なのだ。その後明治29年(1896年)まで、新潟の人口が東京や大阪よりも多い時期が続いた。その数は170万人前後。ちなみに東京が当時150万から現在1360万人まで増えたことに比較すると、現在の新潟県の人口236万人は、当時とそこまで大きくは変わっていない。
1858年、日米修好通商条約により、函館、横浜、神戸、長崎、そして新潟の5港が開港。新潟は日本海側の玄関口であり交通の要衝として栄えてきたほか、米作りをはじめ農業でも繁栄、街が賑わいを見せていたことは容易に想像できる。
現在の新潟県はご想像のとおり、米の産出額全国1位、米菓の出荷額1位。やはり産業構造は農業及び食料品製造業の重要度が高い(経済産業省の地域経済分析 2015年3月23日)。他にも県の特徴をランキングでみてみよう。
総務省の「平成23年社会生活基本調査」によれば、余暇時間の多さ、通勤時間の少なさがともに全国1位。自由に使える時間がたくさんあり、ワークライフバランス重視の働き方をしたい人にはぴったりな土地であることがわかる。
変わったところで言えば、虫歯の本数の少なさ(12歳児の一人あたりが0.5本)も全国一。専門学校への進学率は、平成7年以降、13年連続で全国1位だ。NSGグループという学校法人が、ビジネスから医療介護、ファッション、アニメ・漫画まで27もの専門学校を展開しているのも関係しているだろう。実学志向の県民性がうかがい知れる。
中部・北陸・東北・北信越・関東甲信越…
時と場合で所属が変わる
取材のため、新潟県出身者4人に集まって話してもらった。同郷の友が集えば、郷土の言葉のひとつも出そうなものだが、そろって標準語だ。不思議に思ったが、みな「隠しているわけじゃありませんよ(笑)」という。新潟は南北に長い県だ。山形、福島、群馬、長野、富山と5つもの都道府県に隣接している。山形に近い北部は東北弁に近く、富山に近いほうでは関西弁に近いが、新潟市近辺はほとんど訛りがないのだという。
1985年にはすでに上越新幹線が東京と結ばれており、東京、関東との人の行き来が活発だったことも関係しているのだろう。