Photo by Mikito Morikawa

2015年、サードウェーブコーヒーの代名詞的な存在として日本へ進出を果たしたブルーボトルコーヒー。日本代表の井川沙紀氏のインタビューに続き、同社創業者のジェームス・フリーマン氏が、ブルーボトルコーヒーを始める際、大きな影響を受けた日本の喫茶文化について語る。(聞き手/「週刊ダイヤモンド」編集部 森川幹人)

清澄白河に1号店をオープン
店舗の設計は近隣との相性を考える

――清澄白河の街の雰囲気はとても素敵ですね。

ジェームス 僕も好きなんですよ。近くにある清澄庭園も本当に美しいですね。清澄白河に1号店をオープンできたのはラッキーだったと思います。1号店は焙煎所を作ることにしていました。大きな施設になるので、都心に作るとなるとお金がかかるということもありました。近隣の方々も歓迎してくれて、とても助かりました。

――最近、東京の「イーストエリア」はカルチャー面でも注目されています。

ジェームス 以前にカフェ・バッハという喫茶店(台東区)へ行ったことがありますが、あの店も「イーストエリア」にありますね。東京の「イーストエリア」はとてもクールで、新しく感じます。普通、米国からやってきたコーヒーショップは1号店を銀座や六本木などに出しますが、ブルーボトルコーヒーは違うということを伝えられたのはよかったと思います。ちょっと遠いけど、今もお店は賑わっています。かと言って、混みすぎというわけでもなく、ちょうどいい。近くに住んでいる人が、子どもを学校へ送った後なんかに立ち寄ってくれたりするんですよ。

――以前、対談でお店と地元との関係が大切だとおっしゃっていましたね。

ジェームス 店舗を設計する際も、近隣との相性を考えていますね。それぞれ店舗ごとに内装を変えているのも、お客様にその土地でしか味わえない体験をしてほしいからです。