元巨人軍の笠原将生投手は、なぜ「文春だけ」に話したのか?

 元巨人軍の笠原将生投手が野球賭博で逮捕された事件があった。2015年に失格処分になった後に、多くのメディアが彼にインタビューを依頼した。しかし、本人はどこにも応じなかった。

 週刊文春の記者は、何とか彼に食い込んで接触しようと考えていた。人づてにいろいろ調べていくと、笠原氏はカラオケバーでアルバイトをしていることがわかった。記者はそこに客として通い詰めた。歌ったり飲んだりしながら、笠原氏とだんだん顔見知りになり、「人と人」として仲良くなった。「今度麻雀しましょうか」という話になり、彼と徹マンまでしたという。

 そうして信頼関係が築けたところで「実は週刊文春の記者なんです」と告げた。笠原氏は当然のけぞったが、そこで「ウチで全部本当のことをしゃべってください」とお願いした。もちろんすぐに承諾してくれたわけではないが、自らも野球少年だったその記者の熱意が最後には通じた。笠原氏は「わかった。あんたいい人だし、信用できるからしゃべるよ」と言ってくれた。「ぼくも読売から直接ファンの人に向けてお詫びする機会をもらえなかったんで、しゃべります」と。笠原氏はそれだけではなく「じゃあ、後輩にもしゃべらせます」と、同じく失格処分になっていた松本竜也投手にも告白するよう説得してくれた。そうした取材の流れの中で高木京介投手の名前も出てきて、巨人軍の渡邉恒雄氏が球団最高顧問を辞任する事態にまで発展したわけだ。

 なぜ週刊文春の記者がこうして証言をとることができたのか。それは、事件をマニュアル的に考えていなかったからだろう。

 事件は「人間」が起こすものである。図式でもマニュアルでもない。人間として「がっぷり四つ」で付き合って、胸襟を開かせ、口説き、口を開かせて初めて我々の仕事になる。人間に気に入られて、人間にかわいがられてしゃべってもらうことが、我々の仕事なのだ。そのための努力を惜しんではいけない。