非常時には「情報」が要る。大きな災害の時はなおさらだ。今回の東日本大震災でも、貴重な情報を得たり、拡散させたりするのに、Twitterやフェイスブックなどのインターネットが大きな役割を果たした。多くの読者はそう感じていると思う。しかし、多くの被災者は違う。「インターネットは何の役にも立たなかった」。それが被災地、特に三陸など津波被害を受けた地域の人々の実感だろう。
サーベイリサーチセンターが2011年4月28日に発表した【東日本大地震に関する宮城県沿岸部における被災地アンケートの調査結果】によれば、地震発生後の情報源としてもっとも役立ったものはラジオ(50.8%)、ついで新聞(12.6%)。TwitterやSNSなどは0.4%であり、パソコンは0%。ネットはまったく役に立たなかったという評価が下された。そう言えるだろう。
震災から2ヵ月がたった時点でも、被災地ではインターネットは完全には回復していなかった。実際に筆者がGWに東松島市の避難所を訪れた際に、ほしいものは何かを聞いてみたのだが、多くの人が「インターネットがほしい」と答えた。5月初旬の時点で、インターネットが通じていない避難所はかなり多かったことだろう。
加えて、東北の被災地には高齢者が多く、そもそもパソコンもスマートフォンも持っていないし使えないという方も多い。このような状況で役に立つのはいわゆる“オールド・メディア”で、特に「ラジオ」と「新聞」が株を上げた。新聞は電気がなくても読めるし、ラジオも乾電池があれば聞くことができる。そういったメディア特性が今回の災害時に大いに役立ったわけだが、その特性を活かしたのは現場で働く人たちの「意志」である。
避難所に貼られた手書き新聞。
ワシントンの博物館に永久保存!
石巻日日新聞(いしのまきひびしんぶん)は震災直後、停電のため輪転機がストップし、新聞が印刷できなくなった。それでも、社員が手書きで「壁新聞」を作り、避難所やコンビニなどに貼り出し、貴重な情報を市民に提供した。震災翌日の3月12日から17日まで壁新聞を毎日発行。電気が復旧した18日と19日には、被害を免れた山間の家屋にパソコンとプリンタを持ち込み500部ほどの「新聞」を印刷し発行。震災から約1週間たった19日に電気が復旧し、ようやく通常の新聞を発行できるようになった。
この壁新聞については、災害発生の3~4日後、アメリカのワシントンポストが取材。世界中にニュースとして発信された。他メディアも注目し、日本の新聞、テレビはもちろん、女性誌などにも大きく取り上げられた。さらにはこの壁新聞、米国ワシントンDCにある報道博物館「Newseum」に永久保存されることになったのである。