「自発性」を励ますものは「自発性」しかない
社長のもとを辞したその足で、私はそのメーカーでトラブルになっている機械の輸出を担当した輸出部の部長に会いに行きました。すると、彼はこう言いました。
「小西君、これはマーケットクレームだよ」
マーケットクレームとは貿易用語で、契約をしてからマーケット環境が不利になった場合などに、買い主が損害を少なくするために、通常なら問題とならないような些細なことにクレームをつけることを指します。実際に機械が動かないのだから、マーケットクレームには当たらないだろうと、私は怪訝(けげん)に思いました。しかし、これは慧眼(けいがん)だったと、のちに思い知らされることになります。
ともあれ、私は和歌山の製造会社の社長にことの次第を報告。
彼はたいへん意気地のある人物でした。話を聞いた彼は、こう熱く語ったのです。
「俺がつくった機械が動かないとは、こんな不名誉な話はない。必ず動かしてみせる。ただ、俺は英語ができない。だから、小西さん。頼むから、俺と一緒にシンガポールに行ってくれ」
そのつもりだった私は、もちろん賛成。彼の意欲におおいに励まされました。自発性を励ますのは自発性しかないのです。すぐに準備を整えて、ふたりでシンガポールに飛びました。そして、機械を動かすために悪戦苦闘。私には機械のことがよくわかりませんから、通訳も一苦労でした。しかし、社長は一流の技術者だったし、なにより自分がつくった機械ですから、試行錯誤の末に機械は無事に稼働。これで局面が変わると疑いませんでした。
しかし、その後すぐに工場の閉鎖が決定。私は、正式に採用されてはいましたが、給料はいっさい支払われないまま解雇されることになりました。
何が起こっていたのか――。
それを知ったのは解雇された後のこと。シンガポールがマレーシア連邦から離脱。マレーシアがシンガポールからの輸入品に高率の関税をかけることになったのです。これで、合弁会社が目論んでいたビジネスの最も重要なファンダメンタル(基礎的な条件)が消し飛んでしまったのです。
シンガポールでつくった製品を、マレーシア全土で販売するはずでしたが、それに高額の関税を課せられるとなるとビジネスとしてまったく成立しません。機械が動いたところで意味がないわけです。そして、合弁会社をご破算(はさん)にせざるを得なかったのです。
しかし、私にとっては青天の霹靂(せいてんのへきれき)。まったくの想定外でしたが、おそらくシンガポール現地では、その政治動向を察知していたのでしょう。だから、工場の稼働をできる限り先延ばしにするために機械のトラブルを利用した。マーケットクレームと指摘した輸出部長は、非常に洞察力があったということです。たいしたものだと、いまも思います。