「今」に集中すれば「未来」は拓かれる
もちろん、解決策を見出しても敗北に終わることもあります。
あのときの私がそうでした。動かない機械をなんとか動かすことに成功したにもかかわらず、シンガポールがマレーシア連邦から離脱したがために、その努力は「無」に帰してしまった。
しかし、だからこそ、私には次の「道」が与えられたのです。私に染料営業の仕事を用意してくれた華僑経営者は、私に対する「申し訳ない」という気持ちだけで手を尽くしてくれたわけではない。私が、窮地(きゅうち)に陥っても、逃げずに問題解決に全力を尽くした。その姿勢に信頼を寄せてくれたからこそ、手を差し伸べてくれたのです。それは、私が、知人に紹介された若者をサポートするようになって、よくわかるようになったことです。
たしかに、知人の紹介であればむげにはしません。しかし、それだけで全面的なサポートをすることはできない。なぜなら、サポートした人物に“いい加減”な仕事をされれば、私の信頼までも傷つけられるからです。そのリスクは背負えない。だから、私は必ず、その人物をじっくりと見極めます。
そして、人物を見極めるひとつの指標が、窮地に陥ったときに、「目の前」の問題解決にどれだけ誠実に向き合うか、ということです。多少、不器用でも構わない。トラブルから逃げずに、全力を尽くす人間は信頼できる。そして、そのような人物には、自然と支援の手が差し伸べられる。人生が切り拓かれていくのです。だから、想定外のトラブルに巻き込まれたことを嘆くのではなく、「目の前」の問題解決に集中すること。これが、「不確実な人生」を生きる基本なのです。
ちなみに、このことがあって10年ほどたってから、「進退きわまったな」と口にした社長にお目にかかる機会がありました。そのとき、彼はポロッとこう言いました。
「小西君、あのときは君に非常にすまないことをした。君を引き受けるくらいの体力は、当社にもあったんだよ」
私は、この発言を謝罪だと受け取りました。そして、「いえ、そんなことありませんよ」と軽く受け流しました。これは、本心でした。たしかに、あのとき社員として会社に残してもらえれば、生活は安定したかもしれません。しかし、サラリーマンになるつもりはなかったのだから、それは私の望むところではなかったからです。でも、そう言っていただけたのは、ありがたいことだと思いました。
いま考えると、あのとき、あのシチュエーションがあったからこそ、私は強靭(きょうじん)になれたのだと思います。「若いときの苦労は買ってでもせよ」と言います。あのときは、苦汁(くじゅう)をなめさせられたと思いましたが、実は、人間として成長するために必要な「苦労」をさせてもらえたということなのかもしれません。
苦しい状況が人間をつくる――。
それを、私は身をもって学ばせてもらったのです。