すべてが「必要な経験」になる
「車にたとえたら、真鈴はずっと6速にギアが入っているみたいだ。朝起きたらすぐにもう動く。なんでちょっとでも休まないの? たまにはだらだらしたっていいのに」
友だちにこう言われたことがあります。
それでも私は、いろいろなことをやってみたいのです。
1つの目標をクリアしたら、すぐに次の目標へ。
理由の1つは、まだまだ好奇心がつきないから。
もう1つの理由は、「最終的に、自分が何をやりたいのかは、いろいろやってみないとわからない」と考えているからです。
もちろん私も、大学を出てすぐ就職し、ずっと同じ仕事を続けていくやり方があるのは知っています。一途に続けているうちにその仕事が好きで得意になり、プロフェッショナルになる人もいるでしょう。
でも、もしかしたら、違うことでずば抜けた能力を発揮できたかもしれない。
でも、もしかしたら、他にもっと好きなことがあったかもしれない。
限られたことしか経験せず、試しもしなければ、自分の隠れた能力や好きなことを見落としてしまう可能性もあります。
自分とは、探検してみなければわからない大きな謎、そんな気もしています。
だから私は、「やりたい!」と思ったことは何でもやりたい。心のコンパスが向いたら、そこに行ってみると決めています。
もしも私の将来が医師だとして、効率だけ考えれば、医学部に入って国家試験に合格し、インターンを経れば医師になることができます。探検家グランドスラムなんか達成しなくても、ちゃんと夢が叶うのです。でもそれはたぶん、私らしい医師ではありません。
私には実際に、「子どもを最低でも4人、理想を言えば15人くらい産みたい」という夢があり、家族でワイナリーをやるのもいいと思っています。それは大学に行かなくても、素敵な男性にめぐり合えば叶う夢かもしれません。でもそれは、私というお母さんではありません。
役に立とうが立つまいが、私がしていることはすべて、自分にとって必要なことだと思います。すべての経験が、自分をつくってくれるのです。
機械のボタンではないのですから、「これにはこれで用が足りる」ときっちり結びついてはいないはずだと感じます。
山で出会ったブラジル人クライマーは、大企業の経営者やエグゼクティブを対象にコーチングをする仕事をしていました。でも、彼女は仕事上でコンプレックスを抱えていると話をしてくれたのです。
「私は女性だし、大学を出ただけ。あらゆる経験を積んだ年配の男性クライアントの前で自信がもてない。それどころか相手にしてもらえないこともある。だから私は世界七大陸最高峰を制覇したい。それで自信をもちたいの」
彼女の話を聞いていると、何か1つをやり遂げると、関係なさそうなすべてにいい影響がある、そんなふうに感じられました。
「この経験で、私はもっと私らしくなれる」
私もそんな経験を、たくさんしていきたいと思っています。