以上のように考えてみると、この失われた20年の間に、この国の3つの構造問題が、本格的な取り組みがなされることなくずっと先送りされてきた背景には、1票の格差の問題が大きく横たわっていることに気づかされる。誤解を恐れずに言えば、この国の歪みをとことん突き詰めて行くと、1票の格差という淵源に突き当たるのである。結果として、長期間に亘った1票の格差の温存は、この国の「少子高齢化」、「財政の悪化」、「国際競争力の低下」に拍車をかけたのではないか。
1票の格差の是正と
投票における機会コストの平準化を
短命政権が続く理由も、地方の有力者である年配の男性が政治リーダーに選ばれやすいこの国の仕組みと決して無縁ではない。地方の有力者である年配の男性は、ともすれば、政治理念や政策で正面衝突することを望まず、むしろ人の和を重視して輪番でリーダーになることを選びがちである。一昔前まで、地方の議会では、例えば、議長職を輪番で交代する口約束等の話題には事欠かなかったことを想起すれば分かりやすい。
また、一国のリーダー(首相)職は大変な激職である。欧米の政治リーダーが、(一般には気力、体力がピークをつける)40代が多いというのも率直に頷ける話ではある。年配者がリーダーになれば、体力を早く消耗して短命政権になるという指摘もあながち無視できないものがあろう。
もちろん、この国で短命政権が続く理由は、1票の格差だけではなく、衆議院と参議院という2院制の在り方とも深く係わっていると考える(この問題は、後日、稿を改めて論じたい)。それはともかくとして、この国がしっかりした政治リーダーを産み出すようになるためには、その大前提として、1票の格差の是正が欠かせないことは(以上で)明らかであろう。
最高裁の「違憲状態」という最終判決は限りなく重いものがある。少なくとも、次回の総選挙までには、1票の格差を是正しなくてはならないし、私たち市民は、それを粘り強く要求し続けるべきであると考える。
最後に、もう1点、大事なことを付け加えておきたい。1票の格差は、投票における機会コストの問題と相俟ってこの国の歪みに輪をかけてきたと考える。周知のように、例えば都会の若者は投票における機会コストが高く、地方の年配者は逆に機会コストが低いことが世界的に知られている。そうであれば、1票の格差の是正と同時に、機会コストを実質的に平等にするような改革が併せて行われることが望ましい。
有力なアイデアは、インターネット投票の導入である。インターネット投票を実現しているのは、先進国の中ではエストニアだけではないかという反論もあろう。しかし、先進国の中で財政が突出して悪化しているのはこの日本である。そして、財政の悪化は、極論すれば、若い世代に大きい負担を背負わせることに他ならない。そうであれば、若い世代の投票における機会コストの平準化について、日本が世界の先頭を切って努力を傾けるのも、また、至極当然なことではないだろうか。
(文中、意見に係る部分は、すべて筆者の個人的見解である。)