少し前に『東大合格生のノートはかならず美しい』という本が話題になった。「東大に合格する受験生」のノートの“美しさ”について解説しているのだが、元東大生の友人は、「優秀な東大生」のノートはちっとも美しくないと力説していた。
私は東大生のノートをたくさん知っているわけではないので、実際は分からない。しかし、長年ビジネスエグゼクティブの側近を務めてきたから、そういう人たちのノートについてはよく知っている。今ならパソコンでメモをとる人もいるが、昔はノートしかなかった。今でもノート派の人は結構多い。そして、その人たちのノートは決して「美しくない」。
「人に読ませる文書」を
分かりやすく仕上げる能力が高い
まず筆跡について話すと、豪快な風体からは想像できないような小さい字を書く人もいれば、繊細な物腰とは真逆の暴力的な字を書く人もいる。いわゆる「きれいな字」の人もいれば、クセの強い字、たとえば右上がりになる字の人もいる(字は性格を表す?)。
文字中心にノートをとる人もいれば、グラフなどの図を多用する人もいる。なかには、科学の話をしているわけでもないのに、すぐ方程式を書き出すような人もいる。単語しか書かない人も文章を書く人もいる。余白だらけの贅沢な使い方をする人もいれば、細かくびっしり書き込む人もいて、配置も書き方のルールもさまざまなのである。
つまり、ノートの書き方など、みんなバラバラなのだ。
ただし、一言断っておくと、どんなノートを取っていようとも、最終的に外部に出す文書を作成する場合には、「人に理解される」内容に仕上げられる能力がある。「文書化」の基本を押さえているからだ。
文書化の基本となるのは、以下の7つの基本原則である。
チャンキングの原則:情報を小さなかたまり(チャンク)に分割する
関連性確保の原則:1つのチャンクでは1つのテーマだけを扱う
ラベル付けの原則:チャンクの内容の概略がすぐに分かるように見出しを付ける
継続性の原則:同じ言葉を同じ意味で揺るがせずに使う
グラフの統合化:グラフや図をその内容の側に添付する
参照先の添付:興味を持った人がさらに調べることのできる先を記しておく
これらの基本原則は、本来、学生時代の卒業論文などで担当教授から徹底的に指導されマスターしておくべきものである。その経験がなくとも社会人になったのちに、会社の基本となる文書フォーマットに、この基本原則が反映されていることから、自然とフォーマットなしでもきちんとした文書が作れるようになっていたわけだが、昨今はパワポ文書の氾濫により、原則が完全に崩れてしまっている。その結果、生産性が劇的に下がっていることは以前の記事でも述べた通りである。エグゼクティブたちは、このあたりの原則は、確実にマスターしている。