そして、これらの「名前」は、中村さんの苦労の結晶だ。というのも、多摩川について書かれた本は数多く出版されていたが、滝や淵の名前が載った本は一冊もなかったからだ。

「結局、掲載されていたのは、70歳以上のお年寄りの頭の中だけでした」(中村さん)

 名前を教えてくれた古老たちは現在、存命なら100歳以上。もしも、中村さんが聞きに行かなかったら…と想像すると、つくづく間に合ってよかったと安堵する。

 昨日の出来事さえ忘れてしまうようなお年寄りの口から、昔通っていた谷の百数十ヵ所もある滝や淵の名が、滔々と出てくることに中村さんはびっくりしたと振り返る。若かりし頃、ヤマメやイワナを釣ることで生計を立て、子どもを育て上げた川の名前は脳の根底にしっかりと焼き付き、生涯消えないものらしい。

 武田信玄ゆかりの黒川金山のそばには、金を精錬した『精錬場の滝』、勾配が急すぎて、そこから先は魚が遡上できない滝は『魚止(いおどめ)の滝』。銘木を下流に運ぶため、大勢の匠が作業した滝は『千工(せんぐ)の滝』、等々。これらの名前には、源流の山里の暮らしや文化、歴史が刻まれている。

「日本人は元来、源流と非常に巧みな付き合い方をしてきました。私は、多摩川源流研究所の所長として、そうしたことを学び伝え、森林再生などにも反映させながら、新しい源流文化の創生に尽力して行きたいと思っています」(中村さん)

Iターン組が手がけた
「暗い森」からの再生

 そんな心洗われる自然が魅力的な源流の森だが、よく見ると、違和感のある風景が混在していることに気づく。

 生気のない枝を付けた、細い樹木が密生し、光が差し込まない森がある。地表に下草はなく、土が雨で流亡(りゅうぼう)したせいで、ところどころ根っこが剥き出しになっている。林業の衰退によって、手入れされることなく荒れ果てた民有林だ。地主は村外へと転出し、連絡がつかないケースも多い。