謝罪会見は単なる「釈明の場」!?
豊田氏サイドの決定的な思い違い

「作法」も「話法」も、謝罪会見の「テンプレ」に基づいて無難に乗り切ったはずなのに、「どうせ選挙に出るために体面を取り繕ってるんでしょ」と、かえってマイナスになってしまっているのだ。

 だったら、どうすればよかったか。

 いろいろな考え方があるので、「これが正解」というものは難しいが、もし筆者が豊田氏からアドバイスを求められたら、まずはご本人に「いい負け方」の道を納得していただくことから始める。

 ご本人や会見をサポートしていた方たちからお話を伺ったわけではないので、あくまで筆者の想像の域を脱しない話だが、会見での発言から、豊田氏サイド的には以下の3つのゴールを目指していたように思う。

1.「あの暴言は特別な状況で生まれたもの」とやんわりと世間に伝える
2.「新潮の報道内容はすべてが事実ではありません」とやんわりと世間に伝える
3.「なんやかんやありましたけど、次の選挙も出ます!」とやんわりと世間に伝える

「なんて都合のいいことを」と呆れる方も多いだろうが、不祥事の当事者となった方たちというのは、往々にしてこういう考え方をする。世間の見方としては「謝罪会見」というのは「潔く負けを認めるみそぎの場」なのだが、実際に「謝罪会見」に臨む側は、「報道被害に対する釈明の場」だと考える。そう、彼らは「加害者としての自分」よりも、嵐のような報道にさらされた「被害者としての自分」に意識が向きがちなのだ。

 この悲劇的な認識のすれ違いが、「謝罪会見でちっとも反省していなかった」という世間の反感を生み出すのである。