先方が厳しい状況にあるほど
難しくなる心づくしの「贈り物」
本連載がスタートしたのは2012年6月、お笑い芸人・河本準一氏が謝罪会見した直後のことだった。その時期のスタートとなった事情は、「まことに不思議な巡り合わせの結果」としか言い表しようがない。以来、約5年半の時間が経過した。
貧困の拡大と格差の固定、人の心の荒廃が取り沙汰される日本だが、本連載への反響から、私は「日本の世の中は、捨てたもんじゃない」と実感することが多い。10月20日に公開した本連載の記事「生活保護シングルマザーと娘たちが奪われ続ける『人間らしい生活』」は、多くの方に読んでいただくことができ、私のもとには「苦しい状況にあるご家族に、何かを差し上げたい」という声が寄せられている。
全国に広がり、定着しつつある「子ども食堂」ムーブメントも、世の中にもともと善意があったからこそ、掘り起こされ、形となったのだろう。廃棄される運命にある食糧を必要とする人々に届けるフードバンク活動は、農水省内にウェブページが設けられ、半ば公的な性格を帯びている。2014年に活動を開始した「おてらおやつクラブ」も、お寺に集まる供え物を「仏さまからのお下がり」として、必要とする親子に届ける活動を、全国で継続している。
どの活動も、決して悪いものではないはずだ。「子ども食堂」は、低所得層・貧困層の子どもたちに外食の機会と経験を提供できる。フードバンクや「おてらおやつクラブ」が提供する食糧・おやつの数々も、切実に必要とされるものだろう。住まいに菓子のストックがあれば、遊びに来た子どもの友達に「おやつ」として出すことができるようになるだろう。そのことは、親に自信や人間関係の広がりをもたらすかもしれない。
しかし、一般的に贈り物は難しい。相手が困難な状況にあればあるほど、贈り物はより難しくなる。
貧困状態にある人々は、非常に傷つきやすいことが多い。「やりくり」を含む多様かつ強いストレスに日常的に晒されている上に、精神の安定やストレス解消を現金で購入することが難しいからだ。さらに生活保護の場合、「生活保護だから」というスティグマ(恥の烙印)がついて回る。