私は現役時代に7人の監督の下でプレーし、こうした印象を持っていた。そして、自分自身がどちらのタイプでもないことが、指導者になった時には生かせるのではないかと考えていた。

 高校時代は先輩からの鉄拳指導が嫌で入退部を繰り返し、大学は中途退学。社会人の東芝府中も当時は強豪チームではなかったから、プロ入りできること自体を「儲けものだ」と考えているような選手だった。また、プロ野球選手になれば、すぐにクビになっても“元プロ野球選手”になれる。残った契約金で飲食店でも開けば、野球の好きな人は集まってくれるかもしれないなどと考えているような選手だったのである。そして、2年間は一軍とファームを行ったり来たり。そうした下積みを経験したのち、三冠王を3回手にしてプロ野球界のトップにも立った。

 つまり「できない人の気持ち」は、若い頃の私自身の気持ちそのものである。

 そして、チームを背負う主力選手の思いもまた、存分に味わってきているのだ。