言葉こそ遺言に似ていますが、一般的には死ぬことを前提にして、自分の気持ちや無念さを家族や友人・知人に手紙として託すものです。

 多くは自分の身の潔白や自分が追い込まれてしまったことへの悔恨、その恨みもしくは反省などであり、直前に迫った死を前に詫びる心が書かせるものではないでしょうか。

 遺言と遺書は、世の中の方々が思っているより、その位置づけや存在意義が大きく異なることがわかっていただけたと思います。

 遺言と遺書の違いは、それだけではありません。私が考える遺言と遺書の一番の違いは、遺言は未来を、遺書は過去を見つめるという点です。

 私の友人の経営者は、「いつ自分が死んでもいいように、残された家族や社員に向けて遺言を残しておくことが責任ある立場にいる人間の義務だ。明日、いや、いま自分がいなくなっても、家族や社員が路頭に迷うことがないように、具体的かつ詳細な道標を立てておく必要がある」と口癖のようにいっています。

 でも、もしこれが遺書であったなら、残された家族や社員の方々にとっては、死んでいった人の無念で悲しい気持ちを感じざるをえないメッセージとなってしまうのではないでしょうか。

 自分の意思を発信するのであれば、遺書という悲しいメッセージではなく、明るく前向きな遺言を書いてみることをおすすめします。