この4月1日で現行の日本銀行法は施行20周年を迎える。
旧日銀法は、日米開戦直後の1942年に制定された。その主目的は、戦時下で急拡大する財政赤字を日銀にファイナンスさせることにあった。
戦後も同法は維持されたが、プラザ合意(85年)以降に見られた為替政策への金融政策の従属、それに続くバブル経済の膨張と破裂を経て、金融政策の枠組みを見直すべきとの機運が90年代半ばごろから高まり始めた。
さらに、長期的なマクロ経済運営の観点からは、選挙を意識して目先の景気浮揚策に傾きがちになる政府から中央銀行を離し、独立性(自主性)を与える方がよいという考えが世界的な潮流となった。このため、専門家を集めて法改正の議論が行われたのである。
もっとも、この議論が当時とんとん拍子で進んだ背景には別の力も働いていた。
バブル崩壊後に発覚した大蔵省(現財務省)のスキャンダルに対する世論の怒りは激しかった。それを受けて、連立与党(自民党、社会民主党、新党さきがけ)のプロジェクトチームは大蔵省改革に着手するが、すさまじい抵抗に遭う。そこで何か実績を挙げるために手を付けやすいところからいこうという展開となり、大蔵省の事実上の支配下にあった日銀の独立性を高める改革が優先されたのだ(『日銀と政治 暗闘の20年史』〈鯨岡仁著〉に詳しい描写がある)。
では、日銀法改正の趣旨はこの20年の間に生かされてきたのだろうか。まずは為替政策と金融政策の関係から検証してみよう。