テレビ朝日は「財務次官のセクハラ行為が黙認されることへの懸念」と言うが、誰だって追求されなければ黙認する。それを調査報道によって黙認できないようにすることがジャーナリズムの仕事ではないのか。また、ジャーナリストとして最も大切にすべきは、社内規定でもなく取材先の都合でもなく、社会的正義であるはずだ。財務事務次官のセクハラという大きな問題を追求することは、たとえ他社の媒体を使おうとも、ジャーナリストとしての正義だ。不適切なのは女性記者ではなく、情報を葬り去った上司のほうなのだ。さらに言えば、彼女がやったことを「不適切」と言うこと自体がセカンドレイプであることも、テレビ朝日は認識したほうがいい。

 セカンドレイプを防ぐためにも、なによりセクハラ自体を生まないためにも、セクハラ加害者には不寛容が必要だ。アメリカでは「#MeeTooムーブメント」の中で、ハリウッドの大物プロデューサーやニュースショーの大物司会者などが次々と追放、あるいは辞任に追い込まれている。

 今回福田氏は、セクハラ疑惑は完全否定している。しかし新潮報道では、被害女性は複数いるという。テレビ朝日以外のテレビ、新聞各社にも被害者がいるということだ。情報源が社内にいて、しかも記者なのだから、マスコミ各社は徹底的にこの問題を追及すべきだ。福田氏がもしセクハラをしていたとすれば、それは事務次官辞任で済むような話ではない。懲戒解雇すべき話だ。だからこそ、マスコミは真相追及する責任がある。今回の件は、まさに日本のジャーナリズムが問われているのだ。テレビ、新聞はのんきに週刊誌に負けている場合ではないのである。

 ちなみに、ジャーナリズム業界で最も栄誉ある賞とされているのがピューリッツァー賞だ。今年は、ハリウッドの大物プロデューサー、ワインスタイン氏などのセクハラ問題を報じた『ニューヨーク・タイムズ』と『ニューヨーカー』が受賞した。同賞事務局長のダナ・カネディ氏が語った受賞理由を、最後にお届けしておきたい。

 以下、『ハフィントンポスト』2018年4月17日記事より引用


権力と富を握り、弱みに付け込み性犯罪を犯す人間たちは、長い間被害者たちを抑圧し、野蛮な行為をし、黙らせた。(ニューヨーク・タイムズやニューヨーカーなどの報道機関は)その責任を追求した。その結果、全世界的に女性に対する性的虐待について深く考えるきっかけを与えた。


 いまこの言葉は、日本のメディアに対しても突きつけられている――。